席を譲られちゃいました

先日、夜9時を過ぎた頃、最寄り駅からバスに乗った際に席を譲られました。
大きな荷物も持っていなかったし、私としては元気な気分だったので「座りたいなあ・・」と思うこともなかったんですが、すでに座席はほぼ埋まっていて1人掛け座席の横に立った途端、「座られますか?」とそこに座っていた若い男性が席を立ちながら声をかけてきました。

突然のことに私は、「え!??」とビックリし、心中穏やかではありません。
「なんで? なんで私に席を譲ってくれたの??」
「そんなに年寄りに見えたのかしら???」
いろんな思いが頭の中を駆け巡ります。

「大丈夫です」とは言ったものの、彼はすでに席を立ってしまっていますし、バスにはまだまだ人が乗ってきます。
ここで押し問答をすると通る人の邪魔にもなるし、席を譲ろうとしたその人にも悪いかなと思い、「ありがとうございます」と座らせてもらうことにしました。
(そう言いながら顔はこわばっていたかもしれません)

座ってからも頭の中は「なんで?なんで??」という思いが湧いてきます。
・私の後ろからまだまだ人が乗ってくるから、通路をあけなきゃと思って焦って席の横に立とうとした時に少しよろめいた感じかあったからかしら。
・私は何歳に見られたんだろう??確かに少し(?)前にシニア(60代)には突入してるけど、まだそれほどの年寄りに見られるとは思ってなかったんだけど・・・
・年齢以上に老けて見えるのかしら??
・そんなに疲れた顔をしてた??
どうして席を譲られたのかばかりを考えていました。

譲ってくれた方はマスクをしていて年齢はよくわからないのですが、一瞬見た感じでは20代後半から30代前半くらいの社会人の方のようでした。
席を譲る気持ちを持ってる親切な人に出会ってちょっぴり嬉しい気持ち、有難い気持ちもありつつ、「全然元気な私が座ってしまって申し訳ない」という気持ちが拡がっていきます。
私と代わって座席の横にたくさんの荷物を持って立っているその人が気になるし、「荷物お持ちしましょうか?」と声をかけたほうがいいかしらと思ったり、申し訳ない気持ちも溢れてきて、彼がバスを降りるまで落ち着かない気持ちでいっぱいでした。

そんな気持ちを抱えながら、「なぜ私は席を譲られたことがショックなのか」と自問自答もしてみました。

席を譲られる→ 年配者(年寄り)→ まだ私はそんな年じゃない→ 若く見えないのはショック→ 若いことが良いこと
こんな気持ちがあるように思いました。

年齢を重ね、シニアと呼ばれる年にもなり、少しずつ若さに固執はしなくなってきたように思っていたのですが、「まだまだ若いということが良いように思っているんだ」と再認識した出来事でした。

欧米と比べると日本では若いことが良いとされる風潮(世間一般の刷り込み)があると言われますが、これだけ多様化の時代になっても、いつの間にか意識に入い込んだものはなかなか変わらないんだなと改めて思ったわけです。

そして、こうも思いました。
時々、席を譲ったら相手の方に(年寄り扱いするなと)怒られたという話を聞いたりしますが、それは席を譲られた側に戸惑いがあったのかもしれません。

私も席を譲ることはあっても、席を譲られたのは初めてですから、素直にありがとうという気持ちや、なんて親切な人がいるんだろうという気持ちよりは、どう受け取っていいのかわからない気持ちのほうが強かったと思います。

私たちは誰かの言葉や行動に対していろいろな思いや感情がでてきます。
嬉しいこともあれば悲しかったり、イライラしたり、時にはすごく怒りが湧くこともあるでしょう。

そんな時、どうしてそう思うってしまうのか、なぜそう感じているのかと自分に対して問いかけてみることで、今まで気づかなかった自分の本心や本音を見つけることができます。

何かの出来事で心がザワザワした時は、今まで知らなかった自分と出会うチャンスだと思ってみるといいかもしれませんね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

自己否定、自己嫌悪、疎外感、自己肯定を得意とする。「その方の心に寄り添い、一番の味方でいること(安心感)」をモットーに、わかりやすい言葉で恋愛問題や対人・自己との関係を紐解き、改善・生き易さへと導いている。  東南アジア2カ国での生活経験もあり、国や文化の違いについても造詣が深い。