現在高校3年生の息子は、受験日直前です。
子どもの頃から勉強する姿はほとんど見ないほど勉強嫌いでしたが、さすがに今は朝から夜まで頑張っています。
長く不妊治療をしてようやく授かった子どもですが、本当にあっという間に大きくなっていきました。
そんな中、感じたお話です。
子どもの成長
・赤ちゃんの頃
若い頃から妊娠しにくい身体だということは、生理不順で何度か行った産婦人科で聞かされていました。だから子どもが出来た時は本当に嬉しかったんですね。
だけど赤ちゃんのベッドやおもちゃや身の回りの物を用意していても、ずっと妊娠できなかったから、リアルじゃなくて、むしろこの家に赤ちゃんが出来て、3人家族になることがあまり実感できず、嬉しかったはずなのにワクワク感や喜びは今ほどなかったんです。
でも実際に赤ちゃんを抱いて、ずっと関わっていく過程で自分の子どもなんだという実感が湧いてきて、愛おしくなって、それと同時に子どもを育てる大変さや、学ばないといけないこともたくさん出て来ました。
これが子どもと一緒に育っていくということなんでしょうね。
それと同時に、この大変さがいつまで続くのか、いつまでこんなに自分の時間が取れない日々が続くのかというしんどさを抱えていきました。
だけど時間はあっという間に過ぎていって、保育園、小学生、中学生、そして高校生。
子どもが出来ると、日々あまり余裕がなくなっていくと思います。
そして子どもの成長と言うのは本当に早くて、周りから聞く声も、
「もうすぐ小学校なんやねぇ。」
「もう高校生なん!?」
という驚きばかりです。
私も人の赤ちゃんの頃を知っていると、その人に会った時、もうこんなに大きいんだと思ったことが何度かあります。
目の前の分かりやすい子どもの成長に、親が必死について行っているのかもしれません。
・高校生の今
そんな息子ももう大学受験目前です。
保育園の頃から変わらないことがあるとしたら、私がお弁当を作っていたということです。
子どもは成長して、どんどん変化していきますが、お弁当作りはずっと変わらないことだったんですよね。今では多くの中学校が、給食制度になっているようですが、それは息子が中学生を卒業する頃に始まったんですよね。
毎日毎日本当によく頑張ったなぁと自分でも思います。
ただ最近ふと思いました。
息子にお弁当を作るという行為も後少しなんだと。
ずっと解放されたかった。
毎日毎朝眠い目をこすりながら。低血圧のこの身体でフラフラになりながらも、毎日残さずに食べてくれる息子のために、必死で頑張っていたと思います。
きっとそれは私だけじゃなく、子どもを持つ親御さんは皆さん同じですよね。
学校でも食堂はあっても毎日だと食費もかかる。だからどうしても頼らざるを得ない限りは作り続けていました。
それがもうすぐ終わる。
終わってしまう…んだ…。
え?
終わんの?
このお弁当箱。もう使わないの??
不思議ですよね。
あんなに解放されたくてあんなにしんどくてずっと嫌だなぁって思っていたのに、改めて終わるんだって思った時、涙が止まらなかったんですよ。
子育ての喜びと寂しさ
・感傷的な自分を思う
子育てって本当に大変で楽しくて、楽しくて大変です。
こんなにも手がかかって、ずっと目が離せない。
こんなにも時間に追われてこんなにもゆっくり出来ない日々。
だけど、
こんなにも自分を優しくさせてくれる存在。
こんなにも自分以上に大切にしたいと、守りたいと思える存在。
そんなものがこの世にあると実感させてくれる。
それが自分の子どもですね。
そんな日々が当たり前のように続いていて、だけど高校生を卒業したら、子育てというのはほぼ終了…といったところでしょうか。
大学生は子育てというほど子どもではないし、大人というほどまだ社会には出ていない。
それでももう自分で選んで自分で考えて、親の助けはあまりいらなくなって来る。
後は親はもう見守るのみかもしれません。
しっかり成長したんだという喜びはあります。
ここまで親である自分も、幼かった息子もよく頑張ったと思う。
でもそれが寂しいんですよね。
確かにまだ学生。経済的な面ではまだ親を必要とするでしょうし、家は、子どもにとって大事な居場所の一つだと、安心する場所の一つだと、いつまでも思わせてあげたいとは思います。
だけどもう親から巣立っていくのも、いつになるか分からないんですよね。
大学生活で一人暮らしを選ぶかもしれないし、または結婚するかもしれない。
それは全く分かりません。
いつまでも親を頼るのもよろしくないですしね。
だから親が寂しがってちゃいけません。
だけど一人になると寂しい気持ちが出て来てしまいます。
・葛藤しながら手を離していく
もちろん、こんな寂しさは夫には話しても息子に見せるわけには行きません。
それでもね。時々出ちゃうのよ。
私:「お弁当作るのもあとわずかだなぁ~。」
息子:「ようやくってせいせいするやろ。」
私:「まあ、それもあるけど、やっぱり無くなっちゃうのもなんだか寂しいものなんだよね。」
息子:「わがままじゃ。」
私:「そうなのよ。あれだけしんどいことやのに。無くなっちゃうと自分の役目が終わったような悲しさが出ちゃうのよ。わがままなのよ。」
息子:「わからんぞ。いつまでも居るかもしれん。俺が留年とか…。」
そうやって感傷的になる私に、息子は明るく接してくれます。
きっとしばらくは、こんな寂しさを頻繁に感じるのかもしれません。
きっと、老いていく自分とは正反対にこれからの未来を生きる息子に対する羨ましさみたいなものもあるのだと思います。
多分自分が過去に息子ほど学生時代を楽しく過ごせなかったからなんでしょうね。
でもだからこそ、今息子が元気に成長していく姿を見ると、こんなふうに生きてくれてありがたいとも思っています。
私のように生きていないと思うと、自分が少し救われたような気にもなります。
喜ばしい思いとさっさと成長して巣立っていく寂しさ。
それを交互に感じながら、もういろいろ言うことなく、この先の息子の生き方を信頼して見守る親でいたいなぁとは思っています。
今回の私事の記事が、子育て中の皆さんに少しでもお役に立てれば幸いです。
次週は、高塚早苗カウンセラーです。
どうぞお楽しみに。