20年ほど前、私は掌蹠膿疱症という皮膚疾患になった。
もともと肌は弱く、肌が乾燥する、化粧品やシャンプーによっては肌荒れするなど…ちょっとしたトラブルは日常茶飯事だった。
しかし、20年ほど前に患った疾患は、足の裏に小豆大の水泡が出来たり、強いかゆみが伴ったりして、歩くのに支障がでるなど…今までの肌が弱いといったレベルをはるかに超えるものだった。
それからは、毎日の通院し、紫外線療法を行い、痒みに辛さを感じつつも、順調に回復をしていく様子に安堵していた。
1ヶ月を過ぎたころ、診察最終日を迎え、発症する前の日常生活を取り戻せたことに喜んでいた。
しかし、数日過ぎたころに異変を発見する。
また、小さくはあったけれども、新たな水泡が出来始めたのだ。
再び、訪れるかもしれない通院生活にげんなりした私は、根治を目指すべく、漢方治療を取り入れることにした。
それは、処方してもらった漢方薬を毎日1時間ほど煎じて作る本格的なものだった。
もちろん、面倒くさがりの私にとって、この生活はたやすいものではなかったけど、この疾患から抜け出すことを思えば、面倒くさがりを越えるモチベーションを持つことが出来た。
そして、数カ月の漢方生活を経て、夢の完治に辿りついたのだった。
バンザーイ!!
完治から1年を過ぎ、5年を過ぎ、10年を過ぎ、再発することがなかったので、同じ経験をすることはないだろうと思っていた。
いや、正直そんな思いすら、私の頭の片隅にもなかった。
しかし、そんな私をよそに2年前に再発をしたのだった。
私は、治療方法として、真っ先に漢方治療を選んだ。
それは、15年以上再発をせずに暮らすことが出来た実績を信頼してのことだった。
私は、以前通っていた漢方薬局を訪ねた。
すると、若い男性の先生が担当になった。
その先生は、物腰のやわらかい、優しそうな先生だった。
研修中だったのか診断をした後に医院長に診断内容を確認してもらうといった診察の流れだったため、受診している私はどこか心もとなさを感じていた。
診察終了後、その漢方薬局では、処方された漢方と共に漢方薬の調合内容と診察の結果、先生からのコメントが書かれている紙を渡されていた。
そこには、
「皮膚の状態がとても綺麗になられてびっくりしました」とか、
「本当に良かったですね」とか、
「緑のお野菜をしっかり摂られる様にしてくださいね」とか、
「食養生には、〇〇の野菜が良いですよ」とか、
「卒業に向けて頑張っていきましょうね」
などといった、私に症状に応じた先生の言葉が書かれていた。
帰宅時にそのコメントを読みながら優しそうな先生らしい言葉だな思っていた。
そして、治療を開始して4カ月ほど経過したころ、引っ越しすることや経済的理由から、漢方治療を一時中断して、保険が適用される皮膚科に治療の場所を移したのだった。
しかし、なかなか完治まで至らなかったため、2年ぶりに漢方治療を再開することを決めて、漢方薬局へ再訪することにした。
以前と変わらない漢方薬局だったが、一つだけ変化したことがあった。
それは、担当をしていた先生が退職されていたことだった。
漢方薬局の方から、担当していた先生が修行を終えて、ご実家の漢方薬局に戻ったことを教えてくださった。
それを聞いたとき、そうなんだーとライトに受け止めていた自分がいた。
しかし、診察を終え、漢方の調合内容と先生のコメントを渡され見てみると、漢方の煎じ方と体質改善が遅くなる食べ物を書いているのみ。
いや、間違っているわけではない。
私に必要なことが書いている。
それだって、充分ありがたいことだと思う。
でもでも、何かが違っていた。
これは、担当の先生が退職されて担当が変わって、私に与えられていたものが無くなって気づいた違和感だった。
そして、先生に寄り添ってもらっていたこと、それらの言葉が長い治療期間の気持ちを支えてもらっていたことに気づいたのだった。
「肌がきれいになられて、良かったですね。」
「痛みの改善にも取り組んでいきましょう。」
「宮本さんに合っていない食べ物を食べるときは、出来るだけ過熱して、あく抜きされるとよいですよ」
「無理されずに過ごしてくださいね」
「卒業に向けて頑張っていきましょう」
当時は、気づかなかったけれど、言葉には力がある。
たとえ数十文字でも、人の心の糧になる。
この経験を通して、改めて言葉の力を感じることが出来た。
私も、自分の日常生活でも、カウンセリングでも、人の力になる言葉を口にしていきたいと思った。
そして、もし、先生に会うことがあれば、きちんとお礼を言いたいと思う。