私は、自分を好きになることが大切だと言ってきたのですが、自分を好きになるのはやっぱり難しいなと思います。
自分のことが嫌いだと、たとえば相手が私を好きだと言ってくれても、お世辞じゃないかと疑ったり、今は良くてもいつか嫌われると思ったりするので、そんな誤解を解くためにも、自分を好きになるレッスンは大事だと思ってチャレンジしてきました。
それでも、以前よりは自分嫌いの度合いは減ってきたかなとは思うし、自分を好きになるレッスンは無駄ではなかったなと思います。
それは色々なことに気付けたからです。
その結果「自分が嫌いでもいいじゃないか。でも、自分をいじめるのはやめよう」という結論に至りました。
振り返ってみると以前の私は、自分の行動や言動を細かく厳しく監視していたなぁ、と思います。
出来ないところばかり目を向けてはしつこくダメ出ししたり、ああすればよかったと過去の失敗をしつこく責めたりしてました。
とにかくしつこかったと思います。
自分を好きになるために「出来ているところも見ましょうね」と、当時お世話になった先輩カウンセラーに言われてチャレンジしました。
が、普段出来ていないところばかり見るクセが染みついているので「出来てるところなんて、自分にあるはずがない」とあっさり三日ほどで挫折。
そして、挫折してしまう自分をまた、ダメなヤツだなと責めてしまう、という有様でした。
でもね、こんな名言があるのです。
「三日坊主も10回やったら1ヶ月」というもの。
気を取り直してまた少しやってを繰り返していました。
それと同時に、カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービス主催のヒーリングワークというセミナーに参加したり、面談カウンセリングを受けていました。
それらの積み重ねも気付きに繋がったと思います。
「自分を褒めましょう」「小さな成功体験を積みましょう」も同じです。
三日も続かない。
でも、挫折しながらも続けていたある日、ホントある日ふと気付きました。
褒めてほしいはず、認めてほしいはず。
だから自分を良く見せようとしたり、いい人ぶったりするんでしょ。
褒めてほしくて認めてほしくて無駄なアピールするくせに。
なのに人に褒めてもらうことも、自分が自分を褒めることも苦手だわ!
って気付いた、というか自覚したんです。
でも時にはこんなこともありました。
また自分を責めるネタが出来てしまったのです。
私は、わざと嫌われる、ということもやってました。
それは、いつか嫌われるなら初めから嫌ってもらおうという自衛からの行動でした。
当時は気付かなかったけど、相手は迷惑だっただろうなって気付いたことでした。
そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかったです。
このときは先輩カウンセラーの力を借りながら何とか自分の味方になることにチャレンジしていきました。
そして、「誰も味方になってくれないと思ってたけど、誰も、のなかに自分も入ってなかった、自分も自分の味方になってなかった」っていう気付きも得ました。
私は、
私を助けてあげてない、
私の味方になってあげてないんだ。
私も相手と同じように私を無視してる。
自分と繋がってないとはこういうことか、
と思いました。
自分を好きになるという目標には届かなくても、どれだけ自分をちっぽけに、粗末に扱って、自分を無視して孤立させてきたんだと、なんとなくわかってたことがハッキリと自覚出来たのです。
こんな風に紆余曲折を経て「自分を好きになれなくてもいいじゃないか。自分が嫌いでもいいじゃないか。こんなに頑張ってきたんだから。こんなに色々気付けたんだから。やって無駄なことはなかったよな」と思ったのです。
私が特別なことに気付いたわけではなく、おそらく自分のことを好きになれない人の多くは、私と同じように、自分をちっぽけに、粗末に扱い、自分を無視して、孤立させてるんじゃないかと思います。
誰かに嫌われることよりももしかしたら、自分自身が自分を一番疲弊させているのかもしれません。
カウンセラーが勧める「自分を好きになりましょう」という提案には、自分が自分をどのように扱ってるかに気付いてもらう意味もあるんじゃないかと思います。
そして、自分が嫌いって思うときはたいてい、人生が上手くいってないときじゃないかと思います。
ただ、嫌いだからといって自分をいじめるのは違うなって思いました。
なんて、言うは易く行うは難しで、気がつくとつい自分をいじめてしまうかもしれません。
そのことにいち早く気付き、大切な友達に接するように自分と付き合っていけたらいいなと思います。
私のこの拙い文章が気付きのきっかけになれば幸いです。