こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
先日、結婚相談所を経営している方とお話しする機会がありました。
「昔と比べて、いまは男性も女性もなかなか結婚が決まらなくて‥‥」
そんなグチをお聞きしたのですが、男女とも条件がものすごくたくさんあり、一つでもそぐわないことがあると断ってしまう人が多いのだとか。
言い換えれば、90点でもうまくいかない。最低でも95点以上を求めているようだとおっしゃるのです。
「昔はね、70点あれば、ほぼ確実に結婚は決まったものです。ところが、いまはみなさん、許容範囲がものすごく狭い。いったいなぜなんでしょうね、平さん?」
そう問われ、時代性と人のニーズの変化について私の思うことをお話ししたので、きょうはみなさんにもそれをご紹介しようと思います。
たとえば、いまの時代のみなさんは、一定レベル以上のレストランに行けば、素晴らしいサービスが受けられると思っていますよね。
夏であればクーラーが効いていて、快適な空間で、客席は心地よく清潔感にあふれていて、トイレもピカピカに磨かれている‥‥。
その日、あなたが不機嫌であったとしても、いい気分にさせようと、よってたかって過剰ともいえるほどのサービスをしてくれるわけです。
あるいは、子どもたちが夢中なTVゲーム。
われわれ世代が子どもだったころは空想の中で遊ぶしかなかったようなことが、いまはバーチャルに存在し、そして、リアルな体験をすることもできます。
でも、だからといって、昔はだめで、現代のほうがよいかというとそうとはかぎらないように思います。
私たちの子ども時代は、たしかにバーチャルもなにもありませんでしたから、溝に葉っぱを浮かべて流し、それを船だとイメージして遊んだり、地面をキャンパスに見立て、枝を使って絵を描いたり、そんな遊びしかすることができませんでした。
でも、言い換えれば、昔の子どもは「いまあるものを使って、どんなふうに楽しもうか」と考え、実践する力があったといえそうですよね。
私は登山が好きで、しばしば山小屋に泊まったりします。
自立的な人はテントを張って楽しむことも多いのですが、過保護育ちの私は山小屋のお世話になるのです。
山小屋ですから、当然、ホテルのような快適さはありませんし、ザコ寝だったりするわけです。でも、ごはんを出してもらえて、布団で寝られるだけで、まったくありがたいと私などは考えるわけです。
先日、ある山小屋で同宿となった人のなかに、「トイレがウォシュレットじゃないのね」と文句を言ったり、「ドライヤーのコンセントはどこにあるの?」と聞いたりしているおばさまがいました。
しかしながら、山小屋では電気は貴重ですし、コンセントなどほとんどないのです。
そして、これはパートナーに関することでもいえるかもしれません。
「私がどんなに不機嫌なときにも、いろいろな方法やものを使って、機嫌を直させ、よろこばせてくれる人じゃないとダメなの。だって、私には自分自身の人生をよろこびで満たすことなんてできないんだもの」
物資的に豊かな時代になればなるほど、こんなふうに考え、パートナーとなるべき相手の選択肢を狭めてしまっている人が多いような気がします。
「パートナーは私を愛し、楽しませてくれるのが当たり前。あなたは私を愛せるの? よろこばせることができるの? けっこう手がかかるわよ。お手並み拝見!」
‥‥こんなかんじの人が、最近は多いのではないですかと前述の結婚相談所の人に言ったところ、その人はしばらくの間、笑い転げておられました。
いまの時代に生きる私たちは、身近な人々やものを自分の人生の喜びにする力が昔の人に比べて劣っているかもしれません。
だから、代わりにだれかがしてくれるのを期待しているのですが、それはつまり、依存的な生き方といってもよいでしょう。
豊かな時代は、私たちの依存をさまざまな形で満たしてくれますが、それは、自分自身で工夫したり、想像力を働かせたりしながら、人生をよろこびで満たしていく力を弱めたともいえるのでしょうか。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!