愛に気付いたのは、少し経ってからだった

愛されていることにすぐに気付けたら、人生はもっと豊かになるのだと思います。
そのぐらい、愛に気づくのは少し経ってからという方も少なくないのかもしれません。

たとえば、自分がピンチの時に、そっとそばにいてくれた。
悩んでいるときに「どうした?」と、声をかけてくれた。

そのときは自分ばかりが苦しいと思っていて気づけなかったけれども、少し経ってから「自分は誰かに愛されていたのだ」と気付くことがあります。

気付けなかった愛

私も昔、愛に気づかなかった経験があります。

私は高校生のころ「ピアニストになりたい」という夢を諦めるのと同時に、失恋しました。
「今のままの自分じゃだめだ」と、私はダイエットにはまったのです。
そのうちご飯を食べるのが怖くなってしまいました。
当時の私は摂食障害に近い状態だったと思います。
おなかがすいているので常にイライラしている私。
母が作ってくれたご飯を
「太るからいらないって言っているでしょ!!」
と、怒鳴り散らして、拒絶していた時期がありました。

母子家庭で、仕事も忙しかった母。
それでも母は私の健康に気づかい、ご飯を作り続けてくれました。
母はいったいどれだけの愛と思いと時間を込めてくれていたのでしょう。
しかし、当時の私は母の思いに気づくこともなく、素直に受け取る心の余裕もまったくありませんでした。

大好きな「かぼちゃのお味噌汁」

ある日、目が覚めて顔を洗いに行った洗面所の鏡のなかの私は、青白く頬がこけ病気の人のような顔つきでした。
「あぁ、これはまずい。ご飯を食べなきゃ」と、私は焦りました。
私がリビングに行くと、台所にいた母から
「かぼちゃのお味噌汁、あたたかいよ」
と、声をかけられました。

かぼちゃのお味噌汁は、私の大好物です。
お味噌汁を煮込むコトコトという音、湯気に乗ってふわりとひろがる味噌とだしの香り。
その味を思い出すだけでたまらずに、私は母に言いました。
「お母さん、食べたい」

母によそってもらった、かぼちゃのお味噌汁。
一口ほおばったかぼちゃは、ほくほくになるまで煮込まれていました。
かぼちゃの甘さがおいしい。
お味噌汁の丁寧にとられただしの味。
体の奥底までしみわたるようなあたたかさ。
安心感。
ほっこりと暖まるのは体だけではありません。
私の心もまだ「生きている」と、思いました。

母の思い

母は、私の痩せていく姿を見て、心配していたに違いありません。
いつもおいしい手料理を作り、出してくれていた母ですから。
苦しかったのは、私ばかりではきっとなかったはずです。
母は心配から私以上に苦しんでいたのではないでしょうか。
そして母は苦しみ以上に、私に「あたたかい愛情のこもったご飯を食べて欲しい」と本気で思ってくれていたのだと思います。

硬いかぼちゃに火をいれるには時間が、かかります。
母はもしかしたら、前日から準備してくれていたのかもしれません。
私に「太るから、いらない。うるさい」と、拒絶されてもかまわないと、母は思っていたのだと思います。
母は、娘に元気でいてほしいと、愛情が伝わればいいと、愛から作ってくれていたのです。
母のおかげで、私はあの時倒れることもなく、生きていられたのだと思います。

あれは愛だったんだ

私も大人になり、こどもたちにご飯を作るようになって「あの時の母のかぼちゃのお味噌汁には、母の愛がたっぷり詰まっていたのだ」と思います。

時間は経ってしまったけれども、母の愛に気付いた私は先日遠く離れた母に電話をしました。

「今日の我が家の夕ご飯はかぼちゃのお味噌汁だよ。高校生の頃、私、ご飯食べられなくなっちゃったじゃない?倒れるかもと思ったとき、お母さん、私にかぼちゃのお味噌汁を出してくれた。あれがなかったら、私、やばかったと思う。なのに私、『ありがとう』もお母さんに言わなかった。ごめんね。私、お母さんの愛に気づくのに、だいぶ時間が経っちゃった。でも、今ならわかる。私、お母さんに本当に愛されていた。今でも、あのかぼちゃのお味噌汁の美味しさとあたたかさは、忘れられない。おかげで『私は生きている。生きなきゃ』と、思えたんだよ」と。

「何、言っているの。ちさは私の生きがいなんだから。元気でいてね。ちさが次来るときは、かぼちゃのお味噌汁作るからね、早くおいでよ。待っているからね」
受話器から、母の声と涙をすする音が、聞こえてきました。
私が母の愛に気付いたのは、少し経ってからでした。
でも、どれだけ時間が経っても、母の愛は、いつでも私を支えてくれているのです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛・夫婦・子育て・人間関係など、生きづらさや悩みを抱えたかたに、穏やかに、寄り添うことを大切にしている。「話すことのすべてを大切に聴いてもらえる安心感」がある。あらゆる人のなかにある豊かな才能・魅力に光をあて、生きる力を一緒に育む。共感力の高いカウンセラーである。