こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
恋愛関係において依存性の強い人は、どれだけ彼が愛してくれても、その愛がなかなか信じられず、「どうせ、私なんて‥‥」と感じてしまいがちです。
その結果、彼の愛を「何度も、何度も、何度も、何度も、テストしてしまう」ということがしばしば起こります。
そうした人の中には、これまでの人生におけるいろいろな体験を通じ、いつのまにか自分に、「私はなにもできなくて、魅力もぜんぜんない、ダメな子」というレッテルを貼ってしまっている場合も少なくないようです。
彼がどんなに愛してくれたとしても、あなたが自分自身にひどい評価をしているかぎり、「こんな私を、なぜ、愛せるのだろう? この私のどこに魅力を感じるというの?」という疑いの目で彼を見てしまいます。
挙げ句、「こんな私のことを好きだという彼」のことが信じられなくなることもあるようです。「私を好きになるなんて、なんと見る目がなくて、おかしな人なんでしょう。そんな人のことなんか、信じられるわけがない」、と。
ここで、みなさんに一つ、お話しておかなければならないことは、「人間は、自分の価値をなかなか見られないものなのだ」ということです。
言い換えると、あなたがまわりから“いちばん評価されること”というのは、じつはあなたにとってはあたりまえすぎることであって、あなた自身は自分のその部分をまったく評価することができなくなっているのです。
たとえば、東北や九州の田舎町に旅行すると、「なんとのどかで、素晴らしい土地なんだ!」と感動したりしますよね。
ところが、それを伝えても、地元の多くの人は、「そんなわけないよ。こんな、なにもない田舎のどこがいいっていうんだ」などと思っていらっしゃることが多いようなのです。
昔、プロ野球の新庄剛志選手が大リーグに行ったとき、まわりの選手たちを見て、「みんな、なんて守備が下手なんだろう」と思ったそうです。
そんなことを思いながら守備練習していると、チームメイトから、「新庄、おまえはなんて守備がうまいんだ! どうしたら、そんなに上手くなれるんだい?」と聞かれ、彼は「飛んできた球をただ捕るだけじゃねえか。たいしたことは、してねえ」と答えたんだそうです。
ところが、その後、バッティング練習が始まると、大リーグの選手たちはものすごく速い球を、いともかんたんにホームランにしていきます。
それには彼もびっくりして、「いったいどうすれば、そんなホームランが打てるんだ?」と聞いたところ、返ってきた答えは、「きた球をただ打っているだけだよ。たいしたことは、してねえ」というものでした。
そして、彼は学んだそうです。
天才たちは、自分のできることをあたりまえだと感じているあまり、そこに価値を見ることがないのだな、と。
あなたが自分自信の価値がよくわからなくなっているときにいちばんの大切なことは、「人があなたの価値を見てくれているということを、あなたがどれだけ信頼できるか」ということです。
自分の価値がわかっていないと、人からどんなにほめてもらったとしても、それは嘘くさく、偽善的な言葉に聞こえるかもしれません。
けれども、人があなたの価値を伝えるときというのは、仮にそれがお世辞であったとしても、その言葉の中には、あなたのもつ素晴らしい要素の一部が必ず表現されているものなのです。
ところで、自分で自分の価値を見ることができなくなっているとき、私たちはどうも、“否定的なコミュニケーション”で相手にアプローチすることが多いようです。
たとえば、私のようにおデブな人は、「こんなに太ってると、見ていても気持ち悪いでしょ」なんて人にふってしまったりするわけです。すると、そうふられた人はほとんどの場合、「そんなことないですよ」と応対します。
それを受け、また言うわけです。「またまたぁ、遠慮しないでください。ほんと、私ったら、暑苦しい体型なんだから‥‥」。
すると、その人もまたまた、「ほんとに、そんなことないですってば。
多少、ふっくらとしていたほうがかわいいですよ」とほめるような言い方をしてくれるはずです。
しかしながら、「いえいえ、そんな、心にもないことを‥‥。ただのデブだと思っているんでしょ」などと、つい、かわいげのないことを言ってしまったりするんですね。
それでも相手は、「はい、ほんとにウザイですね」とは言えず、「そんなことはないですよ」とあなたの価値を伝え続けなければならないわけです。
これは、心理学で“否定的肯定法”というコミュニケーションの形です。
考えてみれば、めんどくさいことですが、日本人は「自分の価値を否定しつづけることで、相手に自分を肯定してもらう」ことを期待しているのです。
つまり、もしも、あなたのパートナーが自分の価値を延々と否定しつづけるとしたら、その理由は、あなたに「そんなことないよ。君は素敵だよ」と言ってもらいたいからなのです。
この法則を忘れ、「ほんとに、おまえが言うとおり、ウザイよな」とでも言おうものなら、この関係は即座に終わってしまうのです。
心理学の世界には、「攻撃とは、じつは助けを求める声である」という言葉があるのですが、「自己否定は、じつは愛を求める声である」ということができるのかもしれませんね。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!
(完)