春遠からじ

人生でのいちばんの失敗は、「リスクを恐れてなにもしないこと」

こんばんは

神戸メンタルサービスの平です。

バレンタインデーから2週間が過ぎました。

読者のみなさんの中には、勇気をふりしぼり、おめあての男性にチョコレートとともに熱い思いを届けたものの、見事、玉砕し、失意のどん底にいる‥‥という方もいらっしゃるでしょう。

こんなとき、私たちはこんなふうに考えてしまうものです。

「なんで、こんなことになったのだ?! 告白なんか、しなければよかった。よく考えてみれば、さほど好きでもなかったのに‥‥。チョコレート屋の宣伝にひっかかったわが身がうらめしい。それにもまして、私のシリを叩いた平のヤツが許せない!」などと。

私がみなさんによく言う言葉に、「勇気をもって、いきなさい。もしも、ダメであったなら、骨は拾う。戒名も書き、ねんごろに弔うからね」というのがあります。

人生でのいちばんの失敗は、「リスクを恐れてなにもしないこと」だと私は考えているのです。

たとえば、「離婚なんて、ぜったいイヤ」という人のほとんどは、どうすれば離婚せずにすむだろうかと考えた挙げ句、「そうだ、結婚しなければよいのだ!」という結論に至ります。

すると、“離婚という苦しみ”を経験せずにすむわけですが、“結婚という喜び”も経験できなくなってしまいます。

心の底に“罪悪感”があると(ほとんどの人間にあるのですが)、自分を責め、「悪い自分は罰せられるにふさわしい」と考えてしまいがちです。

そのため、「神によって、失恋やひどい出来事という罰が私に下されるのでは‥‥」という思いが湧き、その罰を避けるような発想をするようになります。

しかしながら、じつはその発想自体が、もう、罰となっているわけです。

なぜなら、そう考えることにより、あなたは恋の喜びやロマンスを経験できなくなってしまうわけですから。

だれかを好きになることは、けっして悪いことではありませんし、その経験は、ないよりあるに越したことはないと私は思っています。

私たちは恋をすることにより対人関係を学べますし、人を思いやったり、愛を与えたり、受け取ったりすることも学びます。

また、だれかを心より愛することで、自分もだれかから大事に愛されてきたということに気づくこともできるのです。

たしかに、失恋はつらく、苦しいものですが、そのつらさと苦しさは、あなたがまぎれもなく“人を本気で愛し、好きになったことの証”でもあります。

そして、あなたがそれぐらい人を愛せる人であるかぎり、必ずや、あなたは人に愛される人でもあるはずです。

私はなにに関しても凝り性でマニアなので、人を好きになるときものめり込んでしまうほうです。

だから、昔から、好きな女の子ができたときも、その彼女を「どう喜ばせてあげようか」ということばかり考えたものです。

それが、うまくいったときもあれば、失恋したときもあるわけですが、いまのように心理学を学ぶ以前から、なぜか体で覚えた一つの技があります。

それは、気に入った女の子に、「前の彼女のことをいかに大好きだったか」を話すということです。

そういう話をすると、一人のもれもなく、「この人とつきあうと、こんなにも愛してもらえるのだ」という情報を伝えることができ、そして、いつもうまくいったのです。

もしも、あなたが失恋を恐がり、心の扉を閉めてしまったとしたら、あなたの顔からは表情が消え、ポーカーフェイスの人となってしまうでしょう。

そして、世界中にある、愛あるものを感知することもできなくなってしまうでしょう。

この世界には素晴らしいものがそれはそれはたくさんあり、扉さえ開いていれば、あなたの心を喜ばせてくれるはずなのに‥‥。

男女関係において、“真実の人”は世界に一人だけとは私は考えていません。

あなたの小指の前に多くの男性から伸ばされた赤い糸があり、どの糸をあなたが自分の小指に結びつけるかで、運命が決まるのではないかと個人的には考えています。

どうか、失恋を恐がるのではなく、恋する喜びを選んでください。それができたなら、たとえ、いま、失恋という冬の時代にいたとしても、必ずや、春遠からじだと思いますよ。

来週の恋愛心理学もお楽しみに!!

 

この記事を書いたカウンセラー

About Author

神戸メンタルサービス/カウンセリングサービス代表。 恋愛、ビジネス、家族、人生で起こるありとあらゆる問題に心理学を応用し問題を解決に導く。年間60回以上のグループ・セラピーと、約4万件の個人カウンセリングを行う実践派。 100名規模のグループワークをリードできる数少ない日本人のセラピストの1人。