こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
以前、義理の姪の結婚式にて“親族だけの結婚式と披露宴”というのを経験しました。
いままでに数えきれないほどの結婚式に出席してきたのですが、うちは田舎で冠婚葬祭が派手な地域であることもあり、このようなシンプルな結婚式は経験がなかったのです。
彼女は兵庫県の姫路市の出身で、いま、マンガ家のタマゴをやっています。
そして、だんなさまになった人が山形県の出身で、現在、関東で公務員をしている関係で、結婚式は山形と兵庫の中間の東京で行われることになったわけです。
双方の親族を合わせて10名少々の、とてもコンパクトな結婚式と披露宴でした。
そして、それは、新郎新婦のことを生まれたときから知っている人たちばかりの集まりであり、新郎新婦も交えて語り合うような披露宴だったのです。
それなりに大きい披露宴だと、結婚した本人たちとは、新郎新婦の席までお酒を注ぎにいったときぐらいしか話す機会がないものですよね。
しかし、なにぶん、10名少々の結婚式ですから、まるで会社の仲間となにかの打ち上げにいったときのような距離感で、あれこれ屈託なく語り合えるわけです。
「結婚する」とか「嫁に行く」とかいうと、私という存在が家族からいなくなってしまうかのように考える人も多いかもしれませんね。
しかしながら、結婚という儀式は、あなたのパートナーが家族になり、そして、親戚という強力な応援団があなたの家族と合流するということであるように私には思えてなりません。
姪っ子のだんなさんが山形の親戚の人と話すときは、それはもう、すごい山形弁で、われわれ関西人にはさっぱり理解できないような訛りでした。
それでも、2時間少々、ともにメシを食い、酒を酌み交わしたことで、きのうまでまったく見ず知らずだった人たちに親密感が湧いてくるわけです。
「山形に仕事や温泉で行った帰りには、ちょっと寄ってみたいなぁ」などという気持ちが生まれてきたりするんですね。
私たちは、えてして、「自分という存在は、人に受け入れられないのではないか」、「嫌われ、拒絶されるのではないか」と考え、つねにビクビクしていたりするものです。
しかし、愛する人とめぐりあい、受け入れられると、その経験から自分に自信をもつことができます。
さらに、そのパートナーを愛し続けてきた人たちとの関係まで生まれ、そうした多くの縁者を受け入れることにより、さらに大きな自信を得ることができるのかもしれません。
私は、結婚とか親戚づきあいに関するカウンセリングも多数してまいりましたが、その深層心理を見ていくと、「いかに自分が愛されているのか」ということを理解できていないことから問題が発生する場合が非常に多いようです。
たとえば、あなたが女性で、お嫁さんとして彼の親戚と出会うとき、親戚の人々はあなたという存在を受け入れ、愛そうとするのですが、それをあなたが理解できていないかもしれないということですね。
そして、「なにかしないと、私は愛されない」とあなたが思い込んでいるとしたら、親戚などの縁者が増えれば増えるほど、せねばならぬことは増え、あなたは疲れ果ててしまいます。
しかし、あなたがほんとうにしなければいけないことは、なにかすることではなく、「親戚などの人々から、自分は愛されるにふさわしい存在である」という目で自分を見てあげることなのでしょう。
「自分は愛されるにふさわしい」
もちろん、そう思うことは、親戚のみならず、パートナーシップにおいても、まさにいちばん大事なことともいえそうですね。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!