表現するということは、あなたのまわりの人にあなたのことを愛しやすくすることなのです。
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
1990年代、私がスイスに心理学の勉強に行ったとき、もっともカルチャーショックに感じたことは、欧米の人々は「すべてのコミュニケーションを言葉にして表現する」という、とてもシンプルなことでした。
日本人は“あ・うんの呼吸”といいますが、「言わずともわかる」ことがどうも多すぎるようです。
それは、日本人ならだれでも共通の文化や習慣をもっているからなのですが、国々が地続きに存在するヨーロッパでは、言葉も文化も習慣もまったく違う人たちが混ざり合いながら生活しています。
その環境においては、なにごとも言葉として表現しないかぎり、何一つとして、まわりの人にわかってもらえることはないのです。
日本にはなにも言わずに「なぜ、わかってくれないの?」と文句を言う人が意外と多いものですが、ヨーロッパではそんなことはありえません。
「なにも言わないあなたのことを、理解できるはずはない」
これは、ものすごく大きな文化の違いです。
西洋的な心理学では、「なぜ、この人は表現しないのか?」とか「なぜ、この人は自分を閉ざしてしまうのか?」ということを分析するわけですが、日本的にいうと、「わかってもらえない」と怒っている人は、自分がそうだということには気づきもしていないでしょう。
理由の一つは、実際に「なにも言わずとも、わかってもらえた」という経験があるからです。
日本の文化では、そのようなことは多々あります。そのために、「どう表現し、理解してもらうか」というコミュニケーションの技術が私たち日本人は劣っているのかもしれません。
私がスイスで勉強していたそのころ、毎回、それはそれはカラフルな衣装を着てくる男性がいました。
彼はフランス人で、身長は170センチにも満たないほどでしたが、まわりの体格の大きい男性たちの中でも彼はその衣装ゆえ目立っておりました。
英語で話しかけてみたところ、彼はとてもか細い声で、「僕は体が小さく、気も弱いから、こんなふうに目立つ洋服でも着ないかぎり、自分を主張する術がないんだ」と答えました。
彼は地元ではそれなりに有名なデザイナーでした。
ご存じのとおり、フランス人やイタリア人は、日本人と同じく体格がさほど大きくありません。
それに対し、ドイツやスイスなどゲルマン系の男性たちには、180センチを超えるような体格の人たちがたくさんいます。
また、ドイツやスイスのレストランではテーブルクロスはたいてい白で、シンプルで地味な食卓です。一方、フランスやイタリアはレストランもとてもカラフルで華やいでいます。
ひょっとして、それも自己表現の一つなのかもしれません。
フランスやイタリアでファッションがさかんであることも、この体格の違いと無関係ではないような気がしますが。
私たち日本人は、制服とか、社会人であればスーツで過ごすことが多く、なかなか個性を表現する機会がありません。
だからこそ、言葉による自己主張が大事になる場面も多いのですが、同時に、よくしゃべる男性というのが文化的に評価されてこなかったという事実もあります。
それも日本人がコミュニケーションが苦手な原因の一つかもしれません。
しかしながら、表現するということは、あなたのまわりの人にあなたのことを愛しやすくすることなのです。
あなたはなにが好きで、なにを喜びとしているか‥‥、それがわかっただけでも、まわりの人はあなたのことがぐんと取り扱いやすくなります。
「私のことを、どうやって伝えようか、わかってもらおうか‥‥」と工夫して、あなたがあなたのことをまわりの人に教えてあげることが、対人関係にとってはとてもいい潤滑油になりそうですよ。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!