我が子と自分の扱い方は同じ?
あなたは我が子に優しいですか?
それとも厳しいと思いますか?
「私は我が子に優しくて寛容」と思った方は、自分自身にも優しく寛容な方だと思います。
反対に「私は我が子に厳しい」という方は、ご自身にも厳しく完璧主義の傾向にあるかもしれません。
もともと人は自分に対して厳しく、長所よりも短所に目が行きがちです。
自分の苦手なところやダメなところにばかりフォーカスしてしまって、意識的にも無意識的にも「克服しなければ」と思っていることがよくあります。
自分でも気づかないうちに完璧主義に陥ってしまうのですね。
そして、そんな風に自分に厳しいと、身近な人に対しても厳しくなってしまいやすいのです。
「子どもにすぐに怒ってしまう」
「つい口うるさくなってしまう」
「我が子を上手く愛せない」
そうやって自分をひどく責めてしまっているお母さんは、もしかしたら自分にもとても厳しく、自分自身を上手く愛せていないのかもしれません。
子どもとの間で穏やかな関係が築けないとき、お母さん自身が自分との関係を良くしてゆくことで子どもとの関係に変化が訪れます。
子どもへの同一視
本来、親と子は別”個”の人間ですが、特に母と子は心理的に距離が取りにくい傾向にあります。
十月十日ものあいだ一心同体で過ごした時期がありますし、出産後も一番身近でお世話するのは母親で、物理的にとても距離が近いですよね。
すると心理的にも、お母さん自身と子どもの境界線がうまく引けないことがあるのです。
子どもと自分の価値観を同じように感じたり、つい子どもを自分の敷いたレールに乗せようとしてしまう、なんてこともあるかもしれません。
無意識に自分と子どもを同一視して、自分と同じように扱っていることが少なくないのです。
無意識の同一化
私には息子と娘がいてもうすでに立派な大人ですが、彼らが子どものころは「あぁ、これって自分と同じように扱っているな」と感じたことがよくありました。
特に同性である娘には。
たとえば、娘が大学受験のときです。
「現役で受かった大学に進学すればいいのでは?」という周囲の意見を蹴って「浪人してお兄ちゃんと同じ大学に入る!」と浪人生活を選んだ割には、どうも熱意があるようには見えない娘。
予備校から帰ってくると「ちょっと休憩」と海外ドラマを観だす。
無邪気に恋愛話しに花を咲かせる。
週末は「息抜きしないと」と友達と出掛ける。
私としては「予備校にいくら払っていると思っているのだ?」という経済的な事情があったのはもちろんですが、それよりも「息子と同じ大学に入れずに劣等感やコンプレックスを抱いてしまうのでは?」という方が気になって「もっとあーしなさい」「こーすればいいんじゃない?」と自分の不安を娘に押し付けていたのだな、と今ならわかります。
私は私で「こっちの気も知らないで」と憤慨するし娘は娘で「ママは全く私を信頼してない。放っておいて」とお互い気持ちが通じ合わず関係が悪化するという負のループに嵌りこんでいたのです。
けれどそれは「娘が劣等感やコンプレックスを抱いてしまうのでは?」という私の怖れと不安を娘に貼りつけて、勝手に娘を弱者扱いしていたのでした。
結果的には息子と同じ大学は手が届かないので別の大学を受験するも不合格。
とはいえ、全く視野には入っていなかったけれど、娘が好きな語学の大学を後期試験で受けて合格。
娘曰く「この学校に入って人生観が変わった」というくらい入学した大学は娘に合っていたようで、私が恐れていた劣等感やコンプレックスどころか、娘は世界が拡がりしっかり力をつけて自分への自信もつけたようです。
また私は子どものころ、母親によく「あんたは女の子なんだから〇〇しなさい」といわれることが多かったんですね。
「女の子なんだから家事を手伝いなさい」
「女の子なんだから早く帰ってきなさい」
「女の子なんだから愛想よくしなさい」
などと言われて理不尽さを感じて納得もしていなかったはずなのに、娘に
「女の子なんだからもうちょっと部屋を綺麗に片付けなさいよ」
「あなたは女の子なんだから、ご飯の用意くらい手伝いなさいよ」
※なぜか息子の方が率先して手伝ってくれるという不思議笑
つい無意識に「女の子なんだから・・・」と口をついて出てはハッとしてました。
あんなにも言われてイヤだったことなのに。
心の深いところでは私自身が「女の子とはこうあるべき」「女性というものはこうあるべき」という観念に縛られていたのです。
そしてそれを娘に押し付けていると気づいたときには、自分でも驚きました。
「私が娘を産んだら、そんなことは言うまい」と思っていたのに。
ここでも私と娘は別個人の人間なのに、自分でも気づかぬうちに自分と同じように扱っていたのです。
自分との関係が良好になると周りとの関係も善きものに
「私は子どもを信頼出来ていない」
「子どもを上手く愛せていないのではないか?」
そんな風に感じて自分を責めてしまうことがよくあったのですが、その前に自分自身のことを信頼したり受け容れたりすることが全くと言っていいほど出来ていなかったんだな、 とあるとき気づいたんですね。
そしてその心の奥深くを探ってゆくと、完璧主義の自分がいたり激しく自己嫌悪している自分がいたりと、自分自身に厳しく自分との関係が険悪だということに気づいたのです。
人は自分に厳しく完璧を求めると周りにも同じように完璧を求めます。
「自分はこれだけがんばっているのだから、あなたもがんばりなさいよね」というように。
自分の一部を嫌っていると、その要素を周りに見たときに、正そうとか改めさせようとコントロールしてしまいます。
「もっと強くなるべき」「もっとしっかりしなければ」と自分に言っているように。
そして、そんな自分を娘に重ねて自分に鞭打つのと同じように娘に鞭を振るったり、信頼出来なかったりしていたのです。
でも「なんで私はそうやって自分に鞭打って自己否定したり、自分の力を信じず不安で一杯だったのだろう?」と見て行ったときに、私には私なりの理由があって、それを理解し、その自分を受け容れていったときに、子どもたちや周りに少しづつ寛容になれていきました。
子どもに厳しくしてしまう。
子どもを上手く愛せない。
そう感じるとき、お母さん自身が自分を理解して自分との関係を見直してみましょう。
自分との関係が良好になると、身近な人たちとの関係も善きものになってゆきます。
「自分を理解できない」「自分と向き合うのは苦手」というときは、ご遠慮なくカウンセリングをご活用くださいね。
あなたが優しくご自身に寄り添いますように。
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来週は、朝陽みきカウンセラーがお送りいたします。
どうぞ、お楽しみに♪