「ない」「ある」どちらを見て生きるか問題

みなさんは、ペットボトルのお水のお話を聞いたことがありますか。
私は、このお話が、物事の見方を考えるのに、とってもわかりやすいので大好きなんです。

自分はどうかなーって思いながら、読んでいただけたらと思います。
ご存知の方も、おつきあいいただけたらうれしいです。

■ペットボトルのお水のお話

お水がちょうど半分入ったペットボトルが1本置いてあります。

Aさんは「まだ、半分あるな」って思いました。
Bさんは「もう、半分しかないな」って思いました。

Aさんも、Bさんも、同じペットボトルを前に、ちがうことを感じています。
いったいどういうことなんでしょうね。
それは、どこを注目しているか、見ているかがちがったからなんです。

Aさんは「残っているお水」を見ていて、Bさんは「無くなっているお水」を見ています。

すると、Aさんは、半分はなくなっているけど「お水がある」って感じているし、Bさんは、半分まだ残っているけど「お水がない」って感じるわけです。

同じお水が半分入ったペットボトルなのに、おもしろいものですよね。
物事の見方を知るのに、とてもわかりやすいお話です。
みなさんは、どんなふうに見ましたか?

■条件が幸せにするのではない

ではもし、Bさんのぺットボトルが少なくなったら、もう1本あげることにしましょう。
これならBさん、無いほうばかり見るのではなく、きっと安心されるんじゃないかな、って思いますよね。
ところが「無くなっているお水」方をいつも見てしまうBさんは、ペットボトルのお水が、まだほとんど入っていて、ひと口分減っているだけでも、「減ってしまったお水」を見てしまうんですよね。

だから、やっぱり「無い」って感じてしまうんです。

もしかしたら、お水のペットボトルのケースを、うんとたくさん、うず高く積まれたら、Bさん、こう言うかもしれません。

「でも、お茶は1本もない」って。

そこにある条件が、どれだけ良いものであっても、「ある」ものに意識を向けない限り、ずっと「無い」ものしか見えません。
いつまでも、不足した感覚を感じるのは、満たされませんよね。

でも逆に、なーんにもないところであっても「ある」ものに意識が向けば、「ある」と感じ、手に入っていることを感じられて、それは、幸福感につながっていくのです。

また、「ある」か「無い」かだけでなく、「ある」のに、どこかの誰かと比較をしてしまうことで、もっと良いものがよかった、あの人の持っているものの方が良さそうだなどと、受け取れない理由をさがしてしまうと、やっぱり「ある」のに「無い」ことになってしまうんです。

■どこを見てすごすのか

少々しつこくなりましたが、私たちが見ているところというのは、意外と偏っていて、片方しか見ていないということに、気づくと良さそうですよね。

ペットボトルのお水だけでなく、すべての物事は、どこからどんなふうに見るのかは、人の数だけ、見方があるといえそうです。
そう思うと、物事は多面体のようなものなのですね。

例えば、こんな出来事があったとしましょう。

最近、仕事がめちゃくちゃ忙しくて、身体も心もすり減っているなと感じている朝。
ふと、「そうだ、今日の帰り、大好きなモンブランケーキを買おう」と思い、楽しみに1日を過ごします。ところが、お店に行くと、モンブランは売り切れ。
がっかりです。

しかたなく、お隣にあったフルーツタルトを買って帰りました。
テンションは下がり気味でしたが、家に帰り、温かい紅茶を淹れて、お皿にフルーツタルトを載せると、キラキラキラと輝くフルーツたち。
頬張ると、旬の果実が、甘く香り高くて「ああ、美味しい!」。疲れが飛ぶようです。
すっかりご機嫌になれました。

欲しかったモンブランケーキがなかった、買えなかったというところだけ見れば、アンラッキーな出来事ですよね。
がっかりしたまま、帰宅する道もあったかもしれません。

でも、疲れた自分に、甘いご褒美、大好きなものをあげるのは、とってもいいアイディアでしたよね。
モンブランは買えなかったけど、フルーツタルトを買ってみたら、これはこれで美味しくて満たされた。
モンブランがあったら、出会えなかった美味しさだったかもしれないとしたら、結果ラッキーな出来事だった、なんて見方もできます。

物事は多面体。
良いものとして、光の部分を見るのか、アンラッキーだと影の部分を見るのかで、ハッピーになったり、がっかりすることになったりと、幸福度に大きな差が出てきてしまいます。

もちろん誰でも、疲れて余裕がないと、ふてくされやすかったり、文句が出たり「ほーらやっぱり、私はツイていない」なんて言いたくなったりしますから、いつもできることではないかもしれませんが、それでも、「これで良かった理由があるのかも」という見方をすると、何か浮かぶこともまた、あるんですよね。

「私の人生には、良いことしか起こらない」なんていうダイナミックな見方も、時に取り入れてみると、人生そのものが多面体で、どこを見ながら生きていくと、私は、楽でハッピーだろうかが、わかってくるように思いますよ。

■すでにある幸せ

できたら、幸福感を感じながら生きていきたいですよね。
「あー、私は不幸だ」と思いながら生きるより、いいに決まっています。

その時、忘れてはいけないのは、幸せは外から来るものとして、外にばかり探していると、見落としてしまう幸せが、結構たくさんあるということなんです。

「無い」方を見ると、外に探したくなるものですが、「ある」を見ようとすると、自分の中を見ることになります。
当たり前だと思っているものも、棚卸ししてみると、たくさん持っているものです。

まずは、衣食住に関するものから始めてみてください。
あの温かなお布団も、お気に入りのセーターも、あなたのものですよね。
近くに居てくれる、お友だちやパートナーも。

すでにある幸せに、目を向けてみる。
そして、もう一度、受け取ってみようと思ってみてください。

「あたりまえ」と認識しているものには、私たちは「無関心」になってしまいます。
「ある」と感じることもできないし、それどころか「感謝」をすることもできません。
是非、ちゃんと見つけて、受け取ってみてくださいね。

そして、受け取るとできることがあります。
「ある」を感じられると「ない」を感じて、外に探し回るよりずっと、心は安定し、幸福感も持続します。
「ある」を味わい、感謝することができると、それを使うことができるようになるんです。
誰かのために役立てることができるんですよね。

形のあるものもないものも、私たちは、すでにたくさん持っています。
「ある」方を見ながら、歩いていきましょうね。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

「自分らしく自分の人生を生きることに、もっとこだわってもいい。好きなことをもっとたくさんして、もっと幸せになっていい。」 そんな想いから恋愛・夫婦関係などのパートナーシッップを始め、職場、ママ友などの人間関係、子育てに関する問題など、経験に基づいたカウンセリングを提供している。