文句を言うのも、言われるのも、言っているのを聞くのも、決して気分のいいものではないのですが、ついつい文句を言いたくなることがあります。
文句は、本当は自分が大変な思いをしていることを「わかってほしい」「助けてほしい」という気持ちがありながら、「甘えてはいけない」という思いが強くて、素直に表現できないときに言いたくなることが多いようです。
文句が多い人は、理想に対して不足であり、不十分であることに注目するクセがあるので、その完璧主義が他人以上に自分を攻撃しているため、生きづらいと感じています。文句が増えてきたと感じたら、必要以上に自分を追い込んでいないかチェックしてみてください。
小さな頼みごとをいろんな人にたくさんしてみるなど、意識的に甘えたり、承認を求めてみるのも対人関係の緊張感を緩めるのにお勧めです。
◎リクエストを頂きました◎
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いつも楽しく拝見しております。
文句を言ってしまう心理について教えて下さい。昔はそんな事なかったのですが、最近、自分がよく文句を言っている事に気が付きました。あまり自分に対しても人に対してもいい事ではないのは分かっていても、いつも口について言ってしまいます。文句を言わずに解消する方法がありましたら教えていただけたら幸いです。
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こんにちは。みずがきひろみです。リクエストをありがとうございます。
自分がよく文句を言っていることに気づかれたということですが、自分の行動、言動のくせというのはなかなか自覚できないものなので、文句が増えていることに気づかれたということ自体、すごいことです。問題は気づけば半分は解決できている、と言われるくらい自覚しにくいものですし、逆に、自覚できれば、意識を向けることができますので、必ず修正や解決ができます。
文句の下にはニーズがある
つい文句が出てしまうときの気持ちって、「あぁだったらよかったのに」、「こうだったらよかったのに」、「あの人がいなかったから」、「こいつがもう少ししっかりしてくれていれば」という調子で、「大変だったんだよぅ」、「助けて欲しかったんだ」という気持ちを「わかってほしい」と思っています。
ただ、「わかってほしい」のですが、どこかで「きっと助けてほしいって言ってはいけないのだろうな」と自分の甘えたい気持ちを我慢してもいて、素直に「助けて!」とは言えないのです。我慢した分だけ、「甘え」は「文句」という形をとるようです。
文句は自己攻撃を隠している
文句の内容をひっくり返してみると、本当はどんなことがしたかったのか、どういう状態であればよかったのか、その人が抱く理想が見えます。
「本当は、もっと気遣いが欲しかった」、「お肉が焼きすぎだった」(@レストラン)、「声が小さいから聞こえない」などなど、完璧にするには何が足りないかを見ているわけで、完璧な理想像を想定しているのです。
そしてそんな不足や不十分を許さない目は、他人だけに向けられているはずはなくて、誰よりも自分を厳しく監視しているものです。四六時中、自分の至らなさを指摘する(心の)目にさらされていれば、誰だって疲れます。
他人の目は避けることができたとしても、自分の(心の)目からは24時間365日逃れることができませんから。完璧主義は立派な自己攻撃です。
「私はこんなに自分を厳しく律しているのに、どうして人はもっとちゃんとやらないの!」。文句を言いたくなる気持ちには、そんな完璧主義の自己攻撃にさらされていることの悲鳴のようにも聞こえます。それくらい、文句の多い人は、自分に対して厳しく、何かにつけて自分を攻撃しているのです。
もっと甘えることを自分に許してみましょう
とすれば、文句を言わなくてもすむようになるには、「緩む」ことができるといい、ということになります。小さな「助けて」が言えるといいですね。「その戸をあけてくださいませんか?」、「これを少し持っていてもらってもいいですか?」と、ちょっとしたところで頼みごとをするクセを意識的につけましょう。
文句の多い人は、いろいろと細かいことに気づける繊細な意識の持ち主が多いです。自分は気づけるのに、他人が気づいてくれないから、気づけない人を攻撃したくなりますが、その観察力や気づきの力は「当たり前」というよりは「才能」と考えた方がいいです。
あなたほど気づけない人へのやさしさだと思って、「お願い」と頼むクセをつけましょう。最近、文句が増えたなぁと思ったら、それは知らず知らずのうちに自分を追い込んでいるせいかもしれません。
「ちょっと疲れているみたいだから、頑張っている私を褒めてくれないかしら?」と誰かに承認を求めることができるといいですね。多分、頑張りすぎなのだと思いますよ。
(完)