お金にいいお金、悪いお金はありません。お金はお金です。
その1万円が、あなたが必死に炎天下でビラ配りをして稼いだお金であったとしても、
お母さんのお財布からそっと抜き取った1万円であったとしても、
たまたま交差点で信号待ちをしていたら、ひらひら~っと風にのって飛んできた万札をあなたがタイミングよく足で踏んでつかまえたものであったとしても、
お店でも銀行でも、同じ1万円として使えますし、受け取ってもらえます。
どう稼いでも、
どう手に入れても、
お金の価値は変わりません。
お金に色をつけているのは私たちです。
その1万円を見たときに、私たちがどういう気分になるか、それだけなんです。
誇らしい気持ちになるか、
嬉しい気持ちになるか、
みじめな気持ちになるか、
やるせない気持ちになるか、
ラッキーと感じるか、
悪いことをした、申し訳ないと罪悪感をおぼえるか。
あなたがそのお金をどう手に入れたか、
手に入れた自分のありように
自分がどう感じているかを映しているにすぎません。(これを心理学では「投影」と言います。)
そして、その1万円に対して感じた気持ちのままにその1万円を使います。
あなたはこの1万円を大事に額縁に入れておくタイプですか?
それとも、自分へのご褒美にしますか?
それとも、愛する人に捧げますか?
ご褒美やプレゼントは、形として残るものですか?
それとも、おいしいお食事やコンサートのような体験でしょうか?
ここにも、あなたの価値観があらわれます。
嬉しい気持ちになるなら、そのお金は、使うにせよ、別の日のためにとっておくにしても、嬉しい体験になります。
ところが、申し訳ない気持ちになるとすれば、
普通は、そのお金を嬉しい、楽しい気持ちで使うのが難しいです。
ついつい使えない(自分がその豊かさを受け取ってはいけない)と思うか、逆に、手元に置いておけなくて、サッサとつまらないお金の使い方をしてしまいがちです。
罪悪感って手強い感情です。自分では、「いいじゃん、いいじゃん」と自分に言い含めても、無意識のうちに「私は悪い」「私はダメ」って思うと、お金が生み出す本当の豊かさを受け取ることができません。
もし、あなたがついお金を稼ぐチャンスから逃げてしまうとしたら、
もし、あなたがお仕事をしたのに、お金を受け取る段になって請求書をきれないとしたら、
あるいは、不当に安い価格で大切な商品を売っているとしたら、
もし、あなたがせっかく稼いだお金を、何に使ったのか覚えていないようなことに使ってしまって本当に大事なことに回すお金がなくて苦労しているとしたら、
お金を受け取る事に対して、なんらかの罪悪感があるのかもしれません。罪悪感がブロックになってお金をもてずに、本当に手に入れたい豊かさを受け取れずにいるのではありませんか。もし、そうだとしたら、この罪悪感をどう手放すか、が豊かに生きる鍵になります。
ラッキーなことはいいことのはずなのに、私たちの多くは、自分がラッキーであることをなかなか受け取れないようです。
よくゴルフでホールインワンをしたら、仲間内でパーティでもして、賞金をパーっと使って楽しむものだ、なんて聞きます。そうしないと、怪我や事故のような災いが降りかかるよ、と言われたこともあります。
高額宝くじに当たっても、多くの人は、数年のうちにそのお金を使い切ってしまう。それどころかかえって借金を作ってしまうと言われます。そのお金を礎に、家を建てるなり、事業を興すこともできそうですが、なかなかラッキーを自分のものにできる人は少ないようです。
これは、私たちが、他人を出し抜きたいという願いがありながら、同時に、一人だけいい思いをすることを怖れる気持ちがあるからなのです。
人のラッキーを羨ましい、妬ましいと嫉妬する分、自分がラッキーな経験をすると、とたんに、今度は自分も人に妬まれる、攻撃されるのではないかと怖くなります。
だから、そのラッキーを帳消しにするようなアクシデントやトラブルを求める気持ちが出てくるようです。変な話ですよね。あえてトラブルを求めるなんて。
でも、トラブルに見舞われて大変な思いをして、「あぁ、もう私ってどうしてこうツイテいないんだろう」とため息をつきつつもどこかほっとする気持ちがあることに気づく方もいらっしゃるのではないかしら。それくらい、私たちはラッキーが怖いみたいです。
私たちはみんなラッキーでいい。そう思えるくらいの自己肯定感が欲しい。それくらい私たちは愛すべき存在だ、と思えるといいですね。