私たちが「家族である」という契約を交わして、21年が経ちました。
結婚して数年間、私は「家族」というものにたくさんの理想、期待を抱いていました。
子供たちは父親を尊敬し、私に対しても絶対的信頼を持ってくれて、
いつも自然とリビングに集まってくるような、笑顔が絶えないそんな家族を
つくりたい!!これが私の「家族」というものの理想形でした。
ところが夫は仕事人間で、子供たちが幼い頃から4人で食卓を囲めるのは
週1回あるかないか。
一緒の食事をしていても、子供たちにしゃべりかけるのはいつも私で
「サザエさんのようなほのぼのした食卓じゃな〜い!!」といつも不満を感
じていました。
夫は元々家庭的なタイプの人ではなく、どちらかというと男の生き方を探求し
ているタイプなので、私はなんとか家庭的なパパに変えてやろうとさんざん
文句も言ってました。
「そんなことだと絶対息子たちに嫌われるに違いな〜い。そうなってからじゃ
遅いんだから〜!!」
ところがところが、息子たちが思春期に入ってくると、まさに男同士の繋がり
を持ち出し、息子たちは常に夫に一目おいていて、私が理想としてきた
「父親を尊敬する」という項目は見事に叶っていました。
私の望むやりかたではなかったんですけどね。
まさにパパオーラーのない夫を嫌っていたのは、息子ではなく私だったようです。。
私は「家族」というものに対する理想や期待が大きすぎて、いつも足りない
ものばかりに目が向いていました。
その反対に、「家族」というものに何の理想形を持っていなかった夫は、
まさに個人尊重型。
息子たちや私の個性を、いつも大事にしてくれていたように思います。
人は自分を基準に物事を図りがちです。
で、多くの場合は恐れが土台になっているようです。
家族団らんが少ない=子供がさみしい思いをしてグレる
父親が子供にいっぱい話しかけない=子供が父親を嫌う
これはまさに、私が子供のころに感じていた親への不満でした。
でも、ようはどんなやりかたでも、ちゃんと子供たちと繋がっていれば、環境
は問題の原因にはならないわけです。
主人が私と大きく違っていたところは、新しい価値観や発想を持ち出した息子
たちに対して、全く恐れのレンズを通して見ていませんでした。
恐れどころか、自分と違う感性や考え方に対して、とても興味深く関わってい
きます。
それは父親として、というものではなくまるで友達の視点です。
もっかギターがすべての長男に、アコースティックギターの中古を調達させ、
「教えろ教えろ」と関わっていきます。
息子はどんな言葉よりも、自分の世界を尊重されていると感じれるでしょう。
以前の私には発想すらなかったコミュニケーションのやりかたです。
ずっと交わることがないと思っていた夫と私の価値観の違いこそが、
今では私に新しいものの見方を増やしてくれる材料になり、とっても新鮮です。
夫婦といえども、自分の産んだ子供といえども、個性の集まりなワケですよね。
決して4人が全く同じ価値観を持っているわけではありません。
男兄弟で育った人は、きっと女の子たるものがさっぱりわからないでしょう。
たくさん兄弟がいた人は、一人っ子の子供の気持ちはわかりにくいですよね。
大切なことは畏れのレンズで見るのではなく、子供(夫婦)といえども自分と
違う一人の人間として尊重し、その子もっている良いところを一つでも多く見
つけて、伝えてあげることこそが、自信を与えることになります。
相手を尊重し、その感性に興味をもってあげることの大切さ。あたりまえに側
にいる家族だからこそ、見落としがちになるのかもしれませんね。
みなさんも自分の家族それぞれが持つ個性を検証し、そしてその中にある価値
の部分を伝えてみることにチァレンジしてみて下さい。
恥ずかしさがいっぱい出てきますよね。
でもでも、きっと家庭に笑顔が増えると思いますよ!