長男は先日、18歳になったばかり。身分は一応、「高校3年生」です。一応、
と言うのは彼が後半年をどう過ごすか、つまり学校にまた行き始めるのか、
決め兼ねているからです。
彼がはじめに学校に行けなくなったのは、本当に唐突でした。2年生も終わり
に近づいたある日、「今日は絶対に行かない、もう嫌だ!!」と、まるで石の
ように頑なに動かなくって、取りあえず休ませることに。そう言えば、毎週決
まった曜日には「今日は行きたくないなあ」「休ませて〜」なんて言っていた
けど、今日もその日だわ。何か嫌な授業でもあるのかしら。まあ、何とかなる
でしょう。そのくらい気軽に思っていました。
ところが、2日、3日、、、そして1週間になるとさすがの私も、
「何で行かないのっ!」「しっかりしなさいよっ」と叱ることも増えました。
彼は、学校が嫌いなわけではないので、制服に着替えて、お弁当を持って、
自転車の鍵を手にしています。
ふぅっ。やっと今日は行ってくれそうだわ、と安心した私は、
「じゃあ、お母さんは先に出かけるわね、戸締りしといてね。」と自宅を後に
しました。
夕方帰宅すると、部活で遅くなるはずの長男の自転車が、そこに!長男の部
屋に行くと、部屋にいて「ごめん、休んだ。」と。
「どないしたん?」「何かあったん?」
さすがに、これは由々しきことだと感じ、長男に聞いてみると、
スポーツマンで元気者の姿はそこにはなく、背中を丸めて、今にも消えそうな
涙声で、「・・・しんどい・・・学校、辞めたい。」と話し出しました。
あまり細かい事情は、ここではふれませんが、ある授業の先生から入学当初よ
り、推薦入学だった彼に(定員割れしていたんですね、彼の年には)
「今年なら無理やったな」とか、「定員割れして入ったからこんなこともでき
ないんだ」などと言われていたようで、そう言えばそんな事を時々言っていた
のですが、
「励ましてくれてるのよ」「君にだけ言ってるわけじゃないんじゃない?」
なんて、一般的な事を私は彼に話していました。実際のところ、人生経験上か
らも、世の中すばらしい教師ばかりではないし相性もあることは重々承知して
いましたから、あまり問題にも思っていませんでした。
でも、よくよく話を聞いてみると、かなり客観的に、そうですね、息子の話
を身内なり割り引いて聞いたとしても
「それってその先生、ちょっとやりすぎじゃないかな」と言う印象がありまし
た。
なのでさすがに、担任の先生を通して学校に連絡して、こういった事実がある
ようだ、学校に行きたいのに行こうと思うと足がすくんで行けなくなると言っ
ている、と言うことを伝えました。学校の方では、時間数や単位の話、
今後の話、そして、今まで彼は殆ど休んでいないので、当分休み続けても大丈
夫でしょう、と言うような事まで話をしました。
学校側の配慮も有り(事情や事実を考慮した上で、なのだと思いますが)、
また、彼も頑張ったので、取りあえず3年に進級はできました。
ところが。3年に入り、大好きな部活も順調、の間はよかったのですが、
強いはずの彼の部が、番狂わせで負けてしまい、その後1週間ほどは通学し
ていたのですが、気力が無くなったようにぱたっとまた行かなくなってしま
いました。
さすがに今度ばかりは、次の事を考えざるを得なくなって、
「留年→退学→無職少年」と言う構図が私の頭の中をぐるぐるぐるぐる。。。
片や2歳下の次男はと言うと、長男が留年かどうか、と言っている時期に
ちょうど高校の入試があり、他の学校を薦められているにも関わらず、兄の通
う高校を希望しました。
しかも、担任は考え直せ、と言い、再度三者面談で意志を決定する事に。
懇談会でもいつもちょっとおちゃらけを言っている次男が、先生の方をキッと
見て、
「自分は○○高しか受けません。落ちたら私学に行きます。それが駄目なら、
定時制です。公立の推薦の希望は変えません。」ときっぱり。
ここまで言われたら親としては支持してやるしかありませんよね。
先生は少々あきれていましたが「お母さんはそれで良いんですか。」
「この子の意志を通させてやりたいと思っています。よろしくお願いします。」
と伝え、二人で帰ってきました。
道すがら、「あんた、やるなあ!お兄ちゃんが行きたくない言うてる学校や
で?ここしか考えてないなんてよう言うたな。」
「お兄ちゃんは学校が嫌なわけじゃないから。それに俺は他の学校に行って面
白くなくなったら辞めてまうわ。それやったら行きたいと思った学校を受けよ、
思ってん。今から推薦の勉強するわ。」
おいおい、今からか?と思ったけど、まあいいか、と思い直して
「じゃあ、できることをできるだけしょうね。」
と本屋に行きました。親子ともども、単純なんですよね。
帰宅してからその事を長男に話すと
「ようやるなあ!俺が今学校に行ってへんのに。でも大丈夫やな、多分。
定員割れたらええなあ。」だって。おいおい。「でも定員割れで入ったら後で
嫌な事言われるけどな。まあ、がんばれや。」内心複雑だったとは思います。
でも、色んな情報やアドバイスを弟にあげていました。入試の合格発表の日ま
で一番ひやひやしていたのは案外、長男だったかも。とにかく、望みは薄いと
言われていたので、「無職少年を二人抱える事になるかなあ…。」と少し悲観
的になっていたことも。
無職がいけない、とは思わないんだけれども(現に自分自身、20数年前にア
ルバイトで食いつないでいた時期が数年あるのです。でも、結果的に「堅い」
仕事に就く事もでき、好きな事もしているし。全てを経験に変えられる、と
確信しているのです。これは今も同じですね)、高校くらいはちゃんと出たほ
うがあんた達楽よ、と言うほどの、多分すごくありきたりの親心ですよね。
でも、そうなった時に考えることにしよう、と思い直しました。何も始まって
いないし、何も終わっていないんですから。
あれだけやめておけと言われたにも関わらず、そして定員割れでなかったに
も関わらず、次男は合格しました。そして、中学校の時と同じように、二人で
同じ部活に入り、今度は自転車を連ねて春からは登校…でも、ほっとしたのも
束の間。また休み勝ちになった兄に、付き合うように「お腹が痛いから休む」
と言う弟。君までか〜と思いつつ、
「お兄ちゃんの事頼むよ」とこっそり言うと親指を立てる弟。今日は一緒に付
き合ってやろう、と思った日にはお腹が痛くなるらしい(苦笑)。でもその結
果、弟も1学期の終わりに親共々呼び出されることに。次男は、遅刻嫌い、生
真面目な長男とは違い、結構アバウトな方で、寝起きが悪いとくる。学校休ん
でるくせに兄貴の方は
「こいつほんまええ加減や〜。遅刻するな〜!部活サボるなよ!」
と怒っていたくらい。
「まあ、俺が言うのも何やけど」と付け足しながら。
ところが部員が少ない事もあって早々にスタメン入りしたとたん、遅刻もサボ
りも無くなった次男。私や長男があれほど言っても直らなかったのに。
本人の意志の力が一番、だったわけです。
長男については、これからどうなるのか、どうしたいのかわかりません。
一つだけ言える事は、彼の人生を生きるのは彼だけだ、ということ。
これは私自身、いつも自分に言い聞かせていた事でもあります。
冷たいようでもありますが、結局のところ誰かのための人生ではない、
と言うことを彼は今模索中なんだ、と見守るしかないんですよね。
これは親、特に母親にとってはつらい作業でもあります。ても自分を振り返っ
たとき、いつも楽な道を用意しようとしてくれた親に「私はこうしたい」
と言うことを必要最小限度ではあっても伝えてきて、私の意志表示には黙って
させてくれた(滅多にしないと言うこともあるけど)、見守っていてくれた両
親の愛情を今更ながら想います。まさに「子を持って知る親の恩」、です。
いずれ、長男も自分の道を決めるでしょう。問題を使ったり次々と作ったり、
と言う事は彼に限らず、多くの人はしています、もちろん私もそうです。でも、
まずその事に気づいて、いつまでもそこにいるのではなくて前を向くこと。
どんな事にも即効性のある答えや方法があるとは限りません。
でも、自分は必ずここから抜け出せると信じることと、信じてあげること。
百人いたら人生は百通りじゃなくて、もっともっとある、と私は想っています。
そんなことを想っていたら、とある「同僚」が夢に出てきてこう言いました。
「そんなもん、じっとしてるのに飽きたら動き出すって。大丈夫大丈夫、
心配いらん〜。
俺かってそうやもん。」うーん。彼の生き方を思うと納得せざるを得ない説得
力のあるお言葉。夢の中まで応援しに来てくれる仲間がいるんだよなあ(笑)。
カウンセラーと言えども人の子、人の親ですから、迷うこと、悩むこともあ
ります。
でも子供たち自身も兄弟で(殴り合いもしていたけど)思いあったり、友達に
支えられたりしているのど同じように、私もまた友人や仲間に支えられて生き
ています。
何人かの友人に息子のことをもらしたら、話を聞いてもらえたり、息子の気
持ちになってもらったり、私を慮ってくれたり、アドバイスをしてもらったり。
もちろん、解決に向けていくのは息子であったり、私自身が自分がさらに前に
進む、と言うことであったりなのですが、少なくとも独りではない、という心
強さが支えになっています。
〜息子よ、安心しなさい、人生はまだまだ長い。お前の良さは私がよく知っ
ているよ。
今は休むときかもしれないけど、動き出す時のために、自分を養っておきなさ
い。〜
こう、面と向かって話せたら良いんですけどね。思春期、反抗期、の子供と
向き合うのは難しい。
お互いのテレもある。子供から見ればあんた達みたいにはうまくなんかできな
い、と思う。でもね、父さんも母さんも、そんな時期があったんだよ。
そう話せたら。等身大の一個の人間同士で向き合えたら。
親に昔求めてきた「完璧さ」を、子供から求められる重圧感。私は完璧など
ではないから、お前が私を追い越しなさい。そんな思いが子供への有形無形の
期待となって知らす知らずに追い詰めていることもあるかもしれません。
誕生日が過ぎた頃(二人とも夏生まれなのです)、二人の赤ちゃん時代を思
っていました。かわいかったなあ。うれしかったなあ。
本当にそのことしか出てきませんでした。
今でも笑顔や寝顔にその時代の面影があって、つい嬉しくなってしまうのです
が。
そんな余裕が足りないな、と思ったら私達を思い出してください。私達も日
常を生きながら、ただただ応援するしかできないけれど。そう、夢の中の同僚
のようにね。
私も、頑張ってます。一歩ずつ、少しずつ。息子や仲間、友達、たくさんの
信頼して下さる方々のためにも。