先日、友人のお母様が亡くなられました。
その事を考えていると、私は去年の夏に亡くなった主人の母の事を思い出します
今回は、主人の母についてお話したいと思います。
私と姑の付き合いは、もうかれこれ二十数年ほどになります。
私は姑のことを”お母ちゃん”と呼んでいました。
嫁の立場で”お母ちゃん”と呼ぶ私は、かなりいい根性をしていると思うのですが
お母ちゃんは、そんな事をなんとも思わない、おおらかな人でした。
そしてお母ちゃんは、私と一緒で5人の子供を育ててきた人です。
でもその反面お母ちゃんは、私から見ていい加減なところがあり、
いつも家族の中で一番のトラブルメーカーで、甘えた事ばかり言って泣き言の
多い人でした。
お母ちゃんの事では頭を抱えてしまうような問題も多く、関わるとあまりいい事
がないなーと、いつも思っていた事もあり、あまり行き来をしない時期や、
仲の悪い時もありました。
でもそんな時もお母ちゃんは、私達の事を気にかけてくれていた様です。
私の母は、5年半前に亡くなったのですが、その時もお母ちゃんは、
「今から私が本当のお母さんだと思って、甘えておいで。」
と私を励ましてくれました。
私は、とても嬉しかったのですが、甘える事の苦手な私はお母ちゃんの気持ちを
どう受け取っていいのか判らず戸惑った事を覚えています。
そんなお母ちゃんなのですが、一昨年の夏が過ぎた頃、体の調子が良くないと
病院へ行きました。
結果は、末期の子宮ガンでした。余命一年。
ショックでした。
その事は、お母ちゃんにも告げられ、その日からお母ちゃんの闘病生活は、
始まりました。
それからのお母ちゃんには、私は驚かされてばかりでした。
先ほども書いた通り、お母ちゃんは泣き言の多い人です。
私は正直言って、自分の病気を受け入れれるほど強い人だとは思ってなかった
ので弱りきってしまうんじゃないかと心配ばかりしていたのですが、
お母ちゃんは、病気に負けてしまうのではなく、生きていく希望を語りだした
のです。
辛い治療にも挫けず ”生きる”事に真剣に向き合う強さ。
私は、初めてお母ちゃんの本当の姿を見たような気がします。
入退院を繰り返しながら、でもお母ちゃんの体力は、少しずつおちていきました
その間、私は何度かお母ちゃんを見舞うことすら嫌になった事があります。
なぜかと言うと、自分の母の事を思い出してしまうからです。
少しずつ弱ってしまうお母ちゃんが、あまりにも母の時とリアルに重なってしま
い、怖くなるのです。
そんな時なのですが、私の先生がこんな事を教えてくれました。
「ある偉い人は、結婚式は欠席しても、お葬式には必ず出席するらしい。それは
亡くなった人に対して、その人の生きてきた人生に敬意を表す気持ちで最後を
見送りたいから出席するらしい。 残りわずかな時間で、君はお母さんの生きて
きた人生、生きざまを見てあげれる人になりなさい。」
その時私は、死は悲しいだけのものではない事に気づかされました。
それからの私は、残りの時間をお母ちゃんと、どう生きていくかを考える様に
なりました。
話をしたり、お世話をしたり、しんどいお母ちゃんに平気で甘えてみたり、
こんな事もありました、私が付き添いで病院に泊まった時、その時のお母ちゃん
は、声も出せないくらいになっていたのですが、私がベッドに潜り込んで
「お母ちゃんしばらくこうして甘えていい?」と聞くと、声を振り絞って
「いいよ〜」と動けない体で、精一杯の愛を私に与えてくれた事を
私は忘れません。
今したいと思う事や、自分の母にもできなかった事をお母ちゃんは、私にさせて
くれました。
少しずつ隠れていた嫁姑の心のわだかまりも、溶けて消えていった様に思います
最後の時が、近くなるとお母ちゃんは何も出来なくなりました。
悲しい気持ちはいっぱいありましたが、私の心の中はそれだけではありません
でした。
人は、生まれてから生きていくために時間をかけて、いろんな事を学び
たくさんの事を身に付けていきます。
そして年をとり今度は今まで身に付けて来たものを一つずつ手放していく。
最後には、歩く事も、食べる事も、話をする事も・・
それでも生き続けてほしい!側にいてほしい!家族は、祈りました。
何かができるからいてほしいのではなく、何かを持っているからいてほしいので
はなく、ただ生きているというだけで、どれほどみんなが必要としているのか、
そこには、お母ちゃんの本当の価値、存在そのもののすばらしさだけがあった
様に思います。
赤ちゃんの様にここにいるだけで、幸せを与えてくれる人。
あんなにいとおしく、大切だと思えるお母ちゃんと出会えて、私は幸せです。
そして家族の絆。ひとりひとりの子供達が、いろんな想いの中でお母ちゃんと
関わっていく姿をみていて、お母ちゃんが人生をかけて創りあげてきたもの
のすばらしさを見たように思います。
お母ちゃんは、夫、子供夫婦、孫、27人に看取られて静かに眠りました。
「よくがんばったね、お疲れ様。 そしてありがとう。」
お母ちゃんを抱きしめながら、子供達の口々からそんな言葉が出たのも、
お母ちゃんの人生の愛の証だと思います。
お母ちゃんは、決して上手に一生を生きて来た人ではありません。
でも私は、人の強さや、人の価値、命の大切さを母達の死や生きざまを通して
教えてもらいました。
お母ちゃんが私たちに、教えて与えてくれたものはいっぱいあります。
そして私達は、これから生きてゆく中でもっとたくさんの事に少しずつ
気づくのかもしれません。
お母ちゃんの存在は今でも私の心に生き続けています。
そして私の母の存在も生き続けています。
きっと私の友人の心の中にも、いろんなお母様が生きていることでしょう。
そしてお母様の心のなかにも・・
私は、あの母たちの温もりを一生忘れる事はないでしょう。
そして、母親達が私に与えてくれたように、私自身の生き方を通して子供達に
たくさんのものを与えていける人になりたいと思います。
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