今日はメルマガの原稿の締切日なのに、何も書けていない(>_<) と思いなが
ら家に帰ったら、ポストに2通の手紙が入っていました。
それは、母がお茶を教えていたときのお弟子さんからの手紙で、先日送った
形見分けのお礼と母との思い出話が書かれていました。
半年前に、体のことを考えて仕事をやめてほしいと思う娘と仕事をしたがる母と
のすれ違いについて書きました(母と娘の行き違い)が、その後、母の病状はどん
どん悪くなり、残念ながら、4月に亡くなりました。
母は、私が小学生の頃から、子ども会などでお茶を教え始め、その後も25
年近く、自宅でお茶を教えていました。
立派なお庭やお茶室があるわけではなく、自宅を改造して設けた部屋でした
が、中には10年以上続けてきてくださっていた人もいて、母のお葬式のとき
も、たくさんのお弟子さんが来てくださって、母との思い出話をいろいろ聞
かせてくれました。
母が病気がちになってからというもの、私たち娘は、どうやって母にお茶の
お稽古をやめさせようか、休ませようか、ということばかり考え、ことある
ごとに母にそのことを言ってきました。
「そんな体で教えてたら、習う方が気を遣うよ」「お金をもらって教えてい
る以上、調子が悪いから休むっていうのは無責任だから、誰か他の人に引き
継いでやめてしまった方がいいんじゃない?」
そんな私たちに母は、「お茶のことは、あなたたちにはわからないんだから、
口を出さないでほしい。習いに来てくれる人たちとは、娘のあなたたちより
ずっと顔を合わせているんだし、関係ができてるんだから」というようなこ
とを言いました。
そして、最後の最後まで、「元気になったら、お稽古をする」と言って、決
してお稽古をやめようとはしませんでした。
私たちからすると、どうしてそこまで母が「お茶の先生」というものに執着
するのかわからなかったのですが、母が亡くなってから、そして最近になっ
て、実はそれは、母の愛着だったんじゃないのかなぁ、という気がしてきま
した。
2時間以上かかるような遠くから、お通夜にもお葬式にも来てくれた人、母
の写真の前で涙を流してくれた人・・・
形見分けのために、母がこれまでに集めてきたお茶のお道具を整理していた
ときにも、母がどれだけお茶が好きだったのかを感じました。
お茶の道具というのは、何かとお金がかかるものですが、うちにはそんなに
余裕はありませんでしたので、母はいただおたお月謝を貯めては、新しいお
道具をコツコツ買い集めていました。
お茶碗にお棗に掛け軸・・・私から見ると何が何だかよくわかりませんが、
それぞれの意味や由来があって、それを季節ごとに使っていたことを考える
とその知識の量と奥の深さはすごいなぁと思ったり
そして、今日届いた手紙でそのことを改めて感じました。
その手紙には、お稽古に行くことが楽しみだったことや、お稽古での思い出
話、そして、私たち娘や孫の話題がいつも出てきていたことなどが書かれて
いました。
そのうえ、「育ての母を失ったような気がする」とまで書いてくれていて、
母は本当に愛されていたんだなぁと思います。
私もは、実家にいたときもほとんどお稽古には顔を出さなかったし、さっさ
と家を出てしまったので、そんな母のお茶への思いやお弟子さんとの関係を
知る機会はいっぱいあったはずなのに、見ないままにしてきました。
今になって、もっとその部分を見てあげていれば、病気の母にあんなひどい
ことを言わなかっただろうし、もっといい最後が迎えられるようにしてあげ
られたんじゃないかと思ったりします。
こういうことって、後にならないとその大切さがわからないから悔しいです
ね。
でも、亡くなった後になってでも、自分の母はすごかったんだなぁと知るこ
とができた私は幸せだと思います。
お父さんやお母さんが一生懸命やっていることを子供にいっぱい見せてあげ
てください。
部下、教え子、後輩・・・お父さんやお母さんを大切に思っている人をいっ
ぱい子供に会わせてあげてください。
自分の親をすごいなぁって思えるのは、ほんとに幸せなことだと思います
から。
そして、それを私に教えてくれた2通の手紙にも本当に感謝したいと思いま
す。
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