先日、カウンセリングをしているときに、あるクライアントさんと子供
の頃の遊びについての話になりました。
私が子どもの頃、今のようにTVゲームやパソコンがあったわけではあり
ません。
それこそ、自然が遊び場であり、おもちゃでもありました。
当時、私は山の麓にすんでいて、ちょっと歩くと川と山とダムがあるよ
うな田舎(でも神戸市)に住んでいました。
そして、遊びといえば、木の枝を拾ってきてはチャンバラごっこや戦隊
ものごっこ、めんこやビー玉、ベーゴマや三角ベースなど、とにかく毎
日走り回っていた記憶があります。
この時期になると、お昼に山に入って木の皮を少しめくり、そこに蜂蜜
を塗って家に帰り、次の日の朝4時頃にその場所に傘を持って行き、傘
を逆さにして木の下において、気を思いっきり蹴るんですよね。
そしたら、蜂蜜を塗ったところにカブトムシやクワガタなど、いっぱい
虫がきていて、そのかわり蛾や蜂など危険な虫もいて、その危険な虫を
蹴散らすために気を蹴るわけですよ。
するとカブトムシなどはすぐ飛ばないので傘の中に落ちてくるし、危険
な虫はほとんど飛んで行ってしまうから、このやり方でいっぱいとりま
したね。
もちろん、蝉やザリガニ、沢ガニ、タニシなんかもよくとりに行きまし
た。
女性のクライアントさんなんかに聞いてみたら、やっぱり一番多かった
のはゴム跳びで、その他にあやとり、リリアン(ご存知ですか?)、み
んなで一緒に鬼ごっこやかくれんぼ、だるまさんが転んだ(私の地域で
は「ぼんさんがへをこいた」と言ってました)ママゴトなど、当時では
見慣れた遊びをほとんどの人が話してくれました。
ほかにも、自分で竹とんぼやたこを作って飛ばしたり、割り箸と輪ゴム
で鉄砲を作ったり、植物を使って空気鉄砲を作ったこともありました
ね。
そういえば、竹馬も自分たちで作りましたよ。
でも、私は竹馬が下手で、近所に住んでいる年下の女の子の方が上手に
乗りこなしていたことを今でも覚えています。
私たちが子どもの頃、今のようにものが豊かでなかった時代、それでも
子どもたちはいろんな遊びをしていました。
ものがないならないなりに、自分たちでイマジネーションを膨らませ
て、そして想像力を膨らませて、どんどん新しい遊びをいっぱい生み出
していた。
そんな記憶があります。
でも、そんな子どもたちだった私たちが今はどうでしょう。
豊かになった分だけ、想像力を忘れ、イマジネーションもしぼんでしま
い、あるものにこだわってないものはあきらめていく。
仕事に関してもそうではないでしょうか?
ここ最近のヒット商品と呼ばれるものの多くは、子供のころの遊び心を
そのまま形にしたり、ちょっとした想像力でつまらない仕事も面白くし
てしまう。
こんな人の方が会社や社会に重宝されたりしますよね。
東京のある神社に、こんな言葉が書いてありました。
「遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそ動るれ」
(遊んだり戯れたりするためにこの世に生まれたのであろうか。
遊びに夢中になっている子供の声を聞くと、わが身までも自然と引き
込まれてしまいそうで、おどる心を抑えがたい。
遊びという行為には、人間にとって大切な何かがあるのである。)
これは「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」という平安時代に書かれた
ものだそうで、もしかしたら当時から日本人は遊ぶのが下手だったのか
もしれませんね。
童心に還ってみる。
今を生きる私たちには、必要なものかもしれませんね。
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