自分を癒すと言う事とは? 

僕達の世代になれば・・・
自分の心の中を見つめたり、自分の生き方を考えたり、
子供の頃からの思い込みを見つめてみたり、
そんな事をすることが、若いときよりもすいぶん少なくなったと思いませんか?
あの頃は、まだ自分の人生が何も始まってなく白紙の状態で、
毎日、自分を見つめて、あらゆる情報を手にし自分を変化させても、
なんとか自分の人生を手にしようと もがいて いました。


その頃に比べれば、
人生もかなり生きてきたし、失敗や成功も経験して、
ある程度 生きる ことに落ち着きが出来たのかも知れません。
だからと言って、問題が無くなったわけではないですよね。
どちらかと言うと、問題の数が増えたり、複雑に絡み合ったりしています。
生きている限り問題は存在するわけです。
同時に問題が存在するかぎり、僕達はまだまだ変化し成長し、
よりよくなっていけるのです。
そして、まだまだ開花していない自分の中の才能を見出し、
輝やかせることも出来るのです。
それは問題を今までの経験値や物の見方から取り組むのではなく・・
自分自身の心の有り方が問題を作り出しているしたら と考えてみることです。
僕は大人になっても随分と長い間、
自分の生い立ちや育てられ方にコンプレックスを持っていました。、
大人になった僕が、両親の育て方が悪かったなんて言葉を出せば、
普通「 甘え 」としか判断されないでしょう。
だから普段、表面の意識にはなかったのですが、
心の深いところではいつもそれが存在していました。
僕は父と母の間に長男として生まれます。
父と上手くいってなかった母は僕を溺愛します。
当時の母と僕のことを周りの大人はこんな風に表現します。
「いつもあなたのことをお人形のように可愛がっていたわね」
「あなたを本当に恋人のように愛していたわ」
僕の小さい頃の記憶にこんな光景があります。
夜、母に寝かされている時に母が聞くんです。
「ママね・・実は 病気なのだから来週の土曜日には死んでいなくなるの」
そして小さい僕が泣きじゃくるのを見て、僕の母への愛情を確かめます。
僕は確かに溺愛、溺れるほど愛されていました。
だけどおかしなことに 愛された とか 受け入れらてる、
と言う感覚がなかったのです。
周りの大人には決して理解してもらえません。
「愛されすぎたんだね」「甘やかされ過ぎたんだね」
いつもそんな言葉しか返ってきませんでした。
母が家を出て行ったあと、
そんな僕を見て、父は焦り出します。
育て直さないと・・ と感じたらしいです。
異常なほどに厳しく育てられました。
そして僕は思春期の頃・・心に色んな問題を抱えてしまいました。
そんな自分を変えようと、心理学の書物を読み漁ったり、
精神科に何度か訪れたのもこの頃です。
ここでも「甘やかされすぎたんだね」という言葉だけでした。
そしてその頃読んでいた心理学書にこんな文章を見つけました。
「 幼少のころに母に溺愛された人物が、青年期に父や社会に
  厳しく接しられると、最悪の人格を形成してしまう   」
この言葉は忘れもしません。「 最悪の人格 」
僕は・・・・・「 失敗作 」
悩みぬいたあげく・・
心理学と言う学問と、
誰にも理解してもらえない「愛されたかった」という思いと、
「失敗作」だったという事。
これを心のずっとずっと深いところにしまい込んでしまいました。
もう見えないように・・ もう感じないように・・
そして、この意識していない「愛されたかった」と言う思いが、
その後の恋愛や夫婦の間に数々の 問題 を作り出しました。
そして、心の深いところにしまいこまれた「失敗作」。
これが、僕の人生で最大の過ちを作りだしました。
僕には、離婚の時に8歳で別れた息子がいます。
子供も5、6歳になると頭で理解できてなくとも、
周りの大人たちの感情をすべてを分っています。
別居中、週末だけ父と二人で過し眠る前に一言もらした彼の言葉・・
「 みっつ(三人)で暮らしたい・・・ 」
日曜日の夜、彼を送っていく時間になると必ず見せるそわそわした態度・・
妻の家の玄関を閉めた後も、泣き止む事のない彼の声・・
僕は、なんてことをしていたのだろう・・・
もちろんそんな彼の存在が、離婚を何年も踏み留まらせましたが。
別れる事が決まった時、彼を引き取ることはしなかったのです。
僕には様々な環境の問題もありました。そして結局は妻に委ねました。
彼の僕を慕う気持ちは痛い程分ってました。
ただ、今 僕は知ってます。
僕の心の奥深くにあったその思い込みを・・「失敗作」
 そんな僕が一人で人を育てるなんて・・・
それは、僕の 僕だけの思い込みでした。
彼はそんな父のことを「失敗作」だとは、
微塵も感じたことはなかったのです。
数々の僕の人生での問題・・・
本当に解決しなければいけなかった問題は、
僕の心の深くに仕舞い込まれた「愛されたかった」「失敗作」
そんな感情に取り組む事だったことだったんだ・・・
今僕の周りにはいろんな環境で育った方々います。
それに比べれば、僕はいたって平凡な家庭でした。
それでも、色んな痛みや思い込みを作ってしまいます。
そして、それはその父や母も受け継いできていたものでした。
そして今僕は、一人の小さな男の子に、
またそれを受け継がせてしまいました。
今まで僕達は、世代を越えずっとそんなことを繰り返して来た様です。
そして今やっと
心理学が心を分析する学問ではなく、
人の心の深いところにある痛みや思い込みを癒していく、
身近な 術べ に成りました。
今僕は
息子の存在を感じるたびに、
この世界で全力を尽くす決意を固くさせてくれています。
大人になればなるほど、心の中を覗くのは抵抗が大きくなります。
あなたが抱えているその問題を少し違った観点から一度眺めてみませんか?
そしてまずあなた自身がその呪縛から自由になりませんか?
あなたが再び傷つく前に・・ 
誰かが傷つく前に・・
※吉原 直人は2007/6月でカウンセリングサービスを退会しました。

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