まっすぐに歩く  〜〜当たり前にできていること〜〜

 歩く、と言う動作は、左右の足を交互に地面から離し、進みたい方向へ
進む、と言う、多くの人にとってはごく当たり前に特に考えてする行動で
はありませんね。でも、私たちが赤ちゃんだったとき、歩けるまでには多
くの成長のプロセスを経ています。
 また、疾病やけが等の事情で、歩くことがままならない、と言うことも
少なくありません。歩く、と言う動作一つを考えても、思うことはたくさ
んあります。


 私が「歩く」と言うことに多少なりともこだわりがあるのは、私自身今
はまっすぐに歩き、走り、跳ぶこともできるのですが、35年前までは、
実は左足が尖足(足裏の全面が地面に着かずつま先で支えている状態)で、
外側つまり小指側の一部しか地面に着かない上に外側に湾曲していて、走
る、跳ぶはおろか、歩くたびにおそらく身体が左右に大きく揺れるような
状態だったからなんですね。おそらく、と言うのは自分で自覚がないから
なんですけど。この状態を少しでも良くするために、アキレス腱(ふくら
はぎからかかとにかけての太い筋肉)を伸ばす手術を受けました。それが、
小学校4年生、10歳の時で、ちなみに大阪万博の年でした。まあ、この
手術はすればすぐにまっすぐ歩けると言うものではなくて、近所の整骨院
や更に厳しい母の特訓で(私としては「アタックナンバー1」の鬼コーチ
や「巨人の星」の星一徹、もしくは「トラの穴」ですね!!)今のように
知らなければ他の人には判らないくらいに歩けているんです。
 初めて同級生と一緒にグランドを走ることができたのは、4年生の冬だ
ったかなぁ・・・マラソンの練習でね、みんなと走ったんです。足もなん
ですが、体育そのものをする機会が少ないので体力もなく、怪我をする、
と言うことに非常な恐怖心があったこともあり、みんなと一緒に走ったこ
とがないではなかったのですがいつも庇ってもらうか置き去り、と言う状
態だったので、すごく嬉しかったことを覚えています。みんなが10周走
るところを、半分くらいしか走れなかった記憶はありますが、本当に嬉し
かったですね。
 
 このことが機会になり、一応何でもチャレンジをしてみることに関して
自信を持つことができました。引っ込み思案で、授業中に手を上げて発言
することも皆無に近かったんですけど(今では誰が想像できるかしら
(^^))、いろんな分野にしり込みすることが減りました。
 さて、時が経ち、中学生の頃。体育の授業は必ずランニングから始まる、
という記憶があります。私は人より走るのがずいぶん遅く、同じ5周を回
ることができず、4周めで終わってよかったんですね、第一私が完走する
のを待っていたら授業に食い込んでしまいます。ところが、ある同級生が
こう言いました。
 「彼女だけいつもずるい!みんな5周やのに、何で?」
 担当の体育の先生はすごく自然にこう言いました。
 「走っとる時間は同じや!!」
 実のところ、私自身が他の同級生より1周少ない事にちょっとした罪悪
感があったので、どきっとしたのですが、先生の言葉を聞いて、安心する
より何より、まさに目から鱗がおちる、と言った感じでした。なぜかと言
と手術以前の私もみんなと同じように遊ぶのですが、縄跳びやゴム飛びや、
ケンケンパと言った跳ぶ動作の多い遊びが多く、肩身が狭くって、時には
一緒に遊ぶことができず(理由は覚えていないのです、自分が嫌だったか
らなのか、嫌がられていたように思っているのか)、砂場で一人か、似た
趣向の友人と二人で遊んでいたこともあります。私の「自分は迷惑」と言
う感覚のルーツの一つはここにあるのかも知れません。でも、できないこ
と=迷惑、と自分が思っていたな、と思ったんです。
 さらに、月日を重ね高校時代のことです。私は負けず嫌いらしく、でき
なかった時代のことなどすっかり忘れ去ったかのように、体育の時間のラ
ンニングもスポーツ章テスト(!)でもサボることなく走っていました、
もちろんみんなより遅れがちにですが。ある時、スポ章の時なんですが、
担任の先生がひとこと・・・。
 「無理せんでええぞぉ。ようがんばっとるのは先生も嬉しいが。」
 身にしみました。でもまだミドルティーンだった私は、無理なんてして
ないわ、って思ってました。だけど父親のようなこの先生の一言がどれだ
け嬉しかったかは・・・未だに覚えていて涙が出そうになる、と言うこと
でお解かりいただけるかと思います(*^。^*) 。
 
 それでもマラソン大会は見学していたのですが、2年生の時の同級生た
ちが自分たちの順位をさておいて、伴走してくれたのです!一緒に走るか
ら、今年は走ってみよう、って。絶対にあり得ないと思っていました。そ
れに、足の傷を見られたくなくて・・・だって全校行事ですからね。
 体力もない私はすぐに息が上がり、スローペースでしか走れませんでし
た。それでも付き合いのよい友達たちは並んで走ってくれて・・・。何と
か走り終えた時(実はそれでもまだ私たちは最後じゃなかったんですけど)
には、見慣れた顔、そうじゃない顔関係なく、応援をしてくれていて・・
・でもすごく恥ずかしくて、どの顔もまともに見られなかったな。
 どういうわけなのか、こんなことを最近よく思いだしているのです。で
きてもできなくても、私と一緒にいてくれる人たち。でも、頑張らなけれ
ばいけない、といつも思っていたし、そうすることでできたことも本当に
たくさんあるとも思うし。当たり前にできていることの多くは、実はこん
な風に頑張ってきたことの積み重ねなんじゃないかな、とも思うのです。
 うちの子供たちを見ると、当たり前のようにずいぶん偉そうにしてるん
ですが、(今の私の年齢から見れば)ほんの十数年、なんですよね。でも、
親としてもできていることよりも更なる期待をいつもどこかで持っている
な、と思う今日この頃。この社会で上手に生きていくためには何らかの枠
や型にはまることも必要なんですが、そのことと、個々の個性や能力・才
能をどれだけ活かせるのか、を考えていきたい、とも思うのです。私たち
親が子供にして上げられることなんて、もしかしたらほんの一握りの事、
なんじゃないかとも思います。
 それでも、初めて何かをできたあの日、をいつも思っていられたら。
 
 そんなふうに思うのです。
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