夫が離婚を申し渡してきたとき、それはそれはやんちゃなやり方でした。
いきなり、「離婚してくれ」といったかと思うと、私の意見には聞く耳をもたず、
そのまま、ひとりその足で双方の両親に離婚することになったと、挨拶に行ってしま
いました。
その後は、帰宅しない日が続くようになり、私を攻め立てる手紙が次々と玄関ドアに
貼られ、部屋には私の知らないものがあふれだし、カードの請求明細はショッキングな
内容で……ただでさえ混乱してしまうのに、強引に話を進めていく彼に、私はすっかり
参ってしまいました。
こんなに破壊的で暴走する彼を見るのは、付き合いも含めて10年以上ありましたが、
初めてでした。
けれど、彼がこんなになるまで、気づいてあげることができなかった。
私にとっては、そのショックが一番大きかったです。
彼の一番の理解者になりたかった。
彼がしんどいときには、少しでも助けになりたかったのに。
やったことは、結果、彼を追い詰めただけ。
私が彼の苦しみを助長していたのではないか、そんな風に感じたのでした。
まるで、自分のことを鬼嫁のように感じていました。
そんな私の憔悴ぶりを見て、彼のお母さんは心配して私に電話をくれたことがありま
した。
私にとっては、義理の母であったひとです。
しかし、私は、彼の行動に半狂乱になり、自分のことをとても責めていました。
その思いがあまりにひどく、冷静さを欠いていた私は、義母も私のことをきっと責め
ているにちがいない、と思ってしまったのでした。
義母「先のことは分からないけれど、自分をしっかり持ってさえいれば大丈夫」
励ましてくれる義母に対して、今にして思えば赤面ものですがかなりの攻撃を返しま
した(^^;
(罪悪感が強いと、防衛の心理から攻撃的になります)
私「そんなこといったって!!! 彼の言い分を聞いたでしょ?」
そのとき、彼は一人で実家に行って離婚の旨を告げていたので、当然、その理由、つ
まり私に対する不満も言っているはずでした。
何を話したのかは分かりませんが、相当ひどいことを言われていると思っていまし
た。
それだけ罪悪感が強かったんですね。
義母「でも、あの子の言い分だけで……。あなたの言い分は聞いていないから」
義母はなだめるように、おだやかに話してくれます。
私「でも、彼の話を聞いたでしょ? いいんです、私は本当にひどい嫁ですから!!」
義母「そんな……」
私「お母さんだって。私のこと……鬼嫁みたいに思っているんじゃないですか?!」
(あああ恥かしい  ̄_ ̄; それはアンタだろう、とツッコミたい……)
義母「……」
しばらくして、義母は、とぎれとぎれにこういってくれました。
義母「あの子は……ずっと気難しいところがあって……特にあれの父親とうまくいか
なくて……口もきかなかったの……。
それがねぇ、ちなみさん、あなたとつきあうようになってから……あの子、すっかり
明るくなってね……。
ずっと、あなたのことをそんな風に思っていたのよ」
急に、肩の力が抜けたのを覚えています。
ああ、そうか。
私は、ふと、初めての顔合わせで彼の家族と会ったときのことを思い出しました。
お父さんと話をする彼。
しじゅうにこにこしていたお父さん。
その様子を見て、彼のお兄さんは驚いていました。
「オマエ……父さんと話するようになったのか?」
「そうなのよ〜。この子、最近、こんななの」
とお母さん。
ついでにキライだったねぎもなすも食べるので、これも驚いていました。
(私の料理で食わず嫌いと気づき、食べられるようになっていた)
「オマエ、ねぎ……食べるのか?」「それ、なすだけど……」
彼は、子供がするようにちょっと得意げにえくぼをうかべて口を動かしてました。
さらに、彼と父の会話がおだやかに続き、しかも、明るく笑ってさえいるのを見て、
彼の弟も、
「兄ちゃん……」
としみじみ絶句したあと、
「本当に兄ちゃん?」
などと首をひねっていました。
何度も何度も、「ホントに変わったなあ」「別人みたいだ」と兄弟に言われ続けて、
彼はといえばごきげんだし、お義父さんは、大好きな湯豆腐を満足そうに取り分けて
いたっけ……。
ああ、そうか。
本当に、お義母さんはそう思ってくれていたんだ、と思いました。
あのとき、確かにお兄さんも弟も、心の底から驚いた様子でした。
そのこととか、何やらが一緒になって、義母の言葉は、冷静さを欠いた私の中に、不
思議なほど、すっと入ってきたのでした。
義母は、そんな風に、ずっと、ずっと、今の今まで、思ってきてくれていたんだ、
と。
それは、結婚して8年も経っていたときでした。
ずっと義母がそんな風に思っていてくれているなんて、私は、全く思いもしませんで
した。
それどころか、至らぬ嫁、と思われているだろうとばかり思っていました。
私は、大切なものを見落としていたのです。
私は、日常で、誰にでもこんなことはあるのではないかと思います。
自分を責めたり、自分の苦しみでいっぱいになってしまうあまり、近くにあったはず
の、誰かの思いを見逃しているということ。
ここでは、相手の思い、愛よりも、自分の痛みばかりを見てしまうんですね。
相手の愛と自分の痛みとどちらが大切なのでしょう?
「愛が大切」といいながら、実際には自分の痛みと天秤にかけたとき、自分の痛みを
優先してしまうんです。
だって、自分が至らないから、自分が悪いから……さまざまな理由をつけて、自分を
痛めつけているのは、まぎれもなく、自分自身です。
そして、その間、相手の気持ち、相手の愛を受け取ることはできないのです。
見えませんから。
本当に苦しいときほど、相手を見る必要があるのかもしれません。
あのとき、私に責められて、義母はどんな思いだったでしょう。
息子のしたことで、本当に胸を痛めていたと思います。
彼女の中にも痛みはありました。
でも、そんな胸中穏やかでない中でも、自分の痛みを持ちながらも、義母は私にとつ
とつと自分の気持ちを語ってくれたのでした。
私は、それを彼女からの贈り物のように感じています。
幼い嫁でした。
そんな私に、真剣に向かい、自分の痛みより、強い思いと信念を伝えてくれたこと
に、本当に感謝しています。
私のことを、大切に思ってくれていたこと、感謝していてくれたこと。
とぎれとぎれに語ってくれた義母の言葉は、罪悪感まみれで、まったく周りが見えな
かった私にとって、不思議なほど説得力があったのでした。
それは、最後の贈り物になりましたが、今でも大切に私の心の中にあります。
ある意味では、血のつながりさえない、なさぬ仲の私に、本当の親以上に思っていて
くれたのかもしれません。
彼女のことを「お義母さん」と呼ぶことができてしあわせだったと、今、思います。
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