成長〜〜〜浅緑の季節〜〜〜

 花の盛りと入れ替わりに浅い緑の天井となった桜並木。ゆるい坂道を数人の
赤ちゃんをカートに乗せてお散歩中の、近所の保育所の保育士さんと思しき数
人の女性。うちの息子たちもこうして幼い頃の時間を過ごしていたんだな、と
見るとはなしにみていたら、そのうちの一人の女性が私に受かって軽く会釈。
私も会釈を返しながら、その顔を見ると、何と息子たちが幼い頃にとてもお世
話になったT先生だった。
 「先生、中村です!息子たちがお世話になりました!」実は福岡でのワーク
ショップのため結構な大荷物を抱えていたのだがそんなことより何より、まず
10年以上もあけての再会が嬉しかった。


T先生はもしかしたら定年までもう何年か、と言う年配にさしかかっておられる
のだろうけど、相変わらず美しく、あの頃と同じような優しいお花の香りのする
ような笑顔を見せてくださった。
そして、淡い緑の天井の下をくぐりながら、子供たちの成長と幼かった頃のし
ぐさなどを思い出してちょっとセンチな気分になっていた。
 甘えん坊の二男が特に縁が深くて、要領の良いこやつはT先生が朝の保育室に
いると、チラッと見てから私の膝元にちょっと泣き声をだしてしがみつく2歳
児だった。まったく・・・と親は少々あきれ気味なのに、T先生はいつも
「Kちゃん、おはよう!」
と優しく迎えに来てくださる。そうすると朝から大好きなT先生を独占できる、
とこやつは知っていて、私から見るといつもの手、なんだけど、T先生はとても
上手に受け止めてくださっていた、と思う。ちなみに二男はやっぱりいつまで
たってもそんな奴、の傾向がある(笑)。
 一方の長男は幼い頃から神経が細やかだが粘りがきく。そして、言葉の表現
に長けている。
 たとえば・・・
  幼馴染Rちゃん「J君は車に乗ったときには優しいね。」
  長男「そんなことここで言うなよ!」
 これは奴らが4歳の時の会話である。さらに、こう言うのもあった。
  Rちゃんの母「(万一離婚したら)パパとママとどっちが良いかなぁ?」
  Rちゃん「パパはパパで、ママはママでしっかり暮らしてね!Rは一人で
 生きてゆけるから。」
  長男「俺は違うな。お母さんについてく。お母さんが間違ってないって
 俺は思ってるから。」
 これは5歳の時の会話。恐るべし保育園児、なのである。こうして文章にす
ると一体お前ら何歳?と言う感じがする。
 
 こんな2人と3人暮らしをするようになってはや9年を過ぎる。小学生だっ
た2人はもはやハイティーン。子供と暮らす、と言うより大人もどきが3人、
の感じである。もちろん、私自身も大人もどき(笑)。とは言うものの、私に
は20年以上を社会で生きてきたと言う自信も、逆に垢まみれって感じもある
が、彼らはまだまだフレッシュなものである。そして、一つ一つのことに対す
る吸収力と変化の早さには目を見張る。息子たちが2人とも高校を中退してし
まうと言う、母親として、ましてや今日行く現場で働いていた私にとってはあ
る意味致命的なものにも感じるのだが、周りの愛情や本人たちの頑張りもあ
り、きっとこの子たちの人生は悪いものにはならないに違いない、と私はよう
やく思うことができ始めたようだ。
 私自身が学校を職場とし、職員以外にご父兄とも関われることが再々あった
のだが、中には学校に来ることができない子供を抱えている方が複数おられ
た。当時の私にはまだ他山の石だったのだが、それぞれの家庭の事情や生徒本
人、親の個性も大きく関わっていることもさながら、学校側(担任個人のこと
も)の姿勢や、何と言うか、ご時勢と言うのか時代の中の流れと言うか、にう
まく乗れなかったり逆に流されて溺れていたり、と言う感じだろうか、そんな
風に感じたことも少なくはなかった。ただ、行政職(事務職員)と言う立場で
もあり、話を伺うと言っても世間話のレベルを超さないのだが、多々思いなが
らも当然何もできなかったし、長男が「学校(高校)にもう行かない」と言い
出したときにも色んなことを慮ってしまい、後手に回ってしまったきらいもあ
る。しかし、学校や教育委員会に何らかの話を持っていったところで息子が学
校に行きやすくなることもないだろう、と考え、息子としっかりコミュニケー
ションをとることを最優先にすることにした。
 彼は、「ベルトコンベアーに乗っているようだった」と言う。規格にはまっ
た高校生、卒業生をオートマティックに作っている気がするのだそうだ。まあ、
わからなくもなかった。私自身、「共通一次試験」の1回生で割を食った学年
なのだ。前年までの試験とは全く変わってしまい、5教科7科目(国、数、
英、に社・理が2科目ずつ)を1次試験で受けなければいけない。オーマイ
ガッ!!とも言えず暗澹とした思いになった。理科も社会も好きではあるが、
単元により相当ムラがあった。致命的である。進学校なのでもちろん授業は受
験を念頭に置いたもの。1年生のうちから選択科目が増え、学ばない科目もあ
る。仕方がない、とも思ったしそれしかなかったが、あんまり楽しいとは思え
ない授業が多かった。とはいえ多くの同級生が流れに乗っていく。でも私は納
得できなかった。今もってそう変わらない。まさに「三つ子の魂百までも」、
である。周りには要領よく立ち回る友達もいたし、早くから国公立はあきらめ
る友達もいた。模試の偏差値を頼りに進路を決めた友達もいた。でも、私には
それがどうしてもできなかった。長男の言う、ベルトコンベアーと言うのがこ
んな感じかもしれなかった。それでも、何とかやってきたし、これからも何と
かやっていけるだろう、と思っているところが私のタチの悪いところで、息子
たちも彼らのやって来たことをみてもやるべき時にはやっていたので(殊に
・・・好きなことには意欲的過ぎるくらいである・・・誰でもそうだと思うけ
ど)、ここは思い切って信じてやろう、と思ったのだった。
 さて、その後一年以上を悶々と暮らした長男はついに先日長い「在宅生活」
に終止符を打っち、彼なりに頑張りだした。多くの人が入ることができる枠に
うまくはまれない長男。いや長男だけではなくこの私にしても同じかも知れな
い。でも「ここで1ヶ月やれたらどこででも大丈夫」と就職する前に言われた
長男、初めの数日はもう無理、って毎日のように言ってたけど、10日ほどで
それは無くなった。別に何かの形にはまれないわけでは無く、自分が納得した
らたいていのことはできるはず、と言う親のひいき目もあながち間違ってはい
なかったみたいで安心する私。持ち前の「目の前に来たもんはとりあえずやっ
てみる」精神と部活(ハンドボール部。このために高校に入ったと言って幅か
らない兄弟なのである・・・ちなみに中学時代は学校で一番ハードと言われた
部らしい)で鍛えた体と根性(!)で気合の入った先輩にもかわいがられ、2
年で一人前にしてやる、と言われたと言う。控えめに話しながら、やる気が出
てきたのを感じていたのだった。
 そして、ゴールデンウィークを控えて、長男はこう言った。
「連休の間、絶対に休みを入れて。俺も休みを取るから。」
初めての給料で(日割りなので知れてはいたが)後馳走してくれる、と言う。
しかも注文つき。
「ファミレス、回転寿司はあかん。俺のプライドが傷つく(笑)」
 二男と3人で神戸の老舗の洋食屋さんのシチューのコースを食べた。よく煮
込んだお肉のコクと柔らかさは一生忘れないだろう。向かいに座っている長男
の顔をじぃっと見つめた。いつもなら「なに見と〜ねんっ!」と怒るところだ
が、はにかみながら少しだけ笑顔を見せた。
「大きくなったね。」
涙こそ出さなかったけど、声は震えていたかも知れない。テレながらメニュー
を私たちに勧める長男がまぶしかった。
「お母さん・・・」
と二男。
「お母さん、俺の時は寿司な。回転寿司ちゃうで(笑)。」
 特別はみだしているわけでもないのに、少しのこだわりがあって譲れないこ
の子たち。苦しい顔を私に見せることは殆どなかったが、心の奥ではさぞかし
苦しかったことだろう。もちろん、これからもだが。この子達が自分のところ
に生まれて来てくれ、同じ時間を過ごす幸せを私はずっと持っていた。人と違
ってもいいやんって言うだけが精一杯の母なのに、大切に思ってくれているな
あ。幸せは後からじんわり湧き上がってきた・・・。
 レジでお勘定の前に長男が言った。
「とりあえず、財布出してな。で、俺が『まあまあ、ここは俺が』ってちょっ
とカッコつけるねん。・・・でもお母さん、ほんまにしよるからなあ。」
当然、長男の期待通りに私は財布を出す振りをした。長男は苦笑い。もちろん
二男の時にもそのつもりである。お金を払っている長男の横で「Jに初めてご
馳走になった記念・・・」小さく呟きながらお店の名刺を取った私をレジに立
った店長は見逃さなかった。
「初任給ですか?偉いな〜、僕はそれをしようと思いながらせんかったわぁ。
これからも頑張ってくださいね!」
嬉しかった。そして長男は照れすぎて、あんなん言われたないわ、とごちた。
そしてこう言った。
「あのな、何か買おうと思ってん。でもきっと自分の物買えって言うやろし
・・・。先輩のMさんに相談したら、メシ奢れって言われた。あの人もそうし
たんかな。」
 すっかり暮れた空には、細い月とより添うようにいくつかの星が並んでい
た。そして、先日出逢ったT先生を始めとしてこの子たちを大事にしてくれた
たくさんの先生を思い出しながら帰途についた。そして、教育を生業とする多
くの知人のこと、事務室をよく訪れてくれた生徒のことも思った。一人一人全
員がその個性や持ち味をほんまに活かせたらすごいなあ、世界にはほんまに無
用な争いも無くなるやろなあ。ただ幸せで楽しい毎日やろなあ。高校時代に、
行きつくところはいつもそこなのに延々と考えを廻らし、果ては自分の存在や
宇宙的な規模にまで思いを馳せていたことを思い出した。
「三つ子の魂」はおそらく続くだろう、私が死ぬまで、いや、息子たちを通し
てもしかしたら果てしなく。その時にも見守ってくれる人はいるのだろう。そ
して、私もそうありたい、と思う。私が、息子がそうして貰ったように自分も
在れたら、と思うのだ。目の前の人たちの美しさを見る眼を、もっと自分の中
に育んで生きたいと思う。そしてそれも息子たちに継がれていくとしたら、私
にとってそれ以上の喜びはないだろう。それぞれがどんな風に生きたとして
も、深く繋がれた絆だと思うから。
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