文章を書くことは決して苦手ではない。でも今回のコラムを書くのに結構
悶々としてしまった。時間がないと言うほどのこともない。書きたいことが
ないわけでもない。ただ、どうしても絞り込めなくて考え込んでしまう。こ
の、考え込むと言うことが私にとっては癖もので、堂々巡りの迷路に入り込
んでしまう。そしていつもの「人間とは」「命とは」・・・と言う何十年も
考えている私の底流にたどり着くことになる。こんなことを何年やったら気
が済むんだろう・・・。
おっと。こうして自分の内側に入り自分いじめはもうやめる、とこの間も
決めたところだ。どうしても事が進まないことで自分を責めてしまいがちに
なってしまう。確かにこうして色々と頭の中で考えを巡らせることは時には
すばらしいインスピレーションにもなるが、「答えがない」と感じて投げ出
したくなることだってある。こういう時は、一旦頭の中のひきだしにしまう
ことにする。
そして、好きな音楽を聴いたり、ぼんやりお湯につかったりと言う時間を
持つ。それも無理なときにはせめてコーヒーやお茶の一杯で一息をついたり、
空を見上げて見たりする。そうすると、空の色が少しずつ変わってきていて、
季節が容赦なく進んでいるのを感じる。そう言えばこの数日は朝夕が過ごし
やすくなった、と思う。
思えば何の事はない、こんなことの積み重ねが私の中にあるだけなんやろ
なあ。心は(と言うか精神年齢か?)十七歳、と思ったりするけど体だけは
残念ながら重ねた年月にとても忠実だ。その反面で、昔は四十歳なんてすご
く立派な分別のある大人だと思っていたのに、その年齢だって気づくととっ
くに通り過ぎていると言うのに今もって落ち着きがない、と思う。自分がこ
の年頃の両親を見ていた感覚を思い出すと、何だか申し訳なく思ったりもす
るし、彼らは本当に精一杯生きていたんだなあとも思い、ちょっと誇らしく
思ったりもする。
遡ってみると、子供の頃の私は、母にとって解かり難い子供だったんだろ
う、と思うことがある。夢見がちでいつも本や絵や音楽の世界に半分住んで
いるようで、母の期待はいろんな意味で裏切られたんだろう、と。違う観点
で見ればそんなぼんやりした子供だった私をそのままなかなか受け入れにく
かったであろう母は、私の期待はずれだった、と言うこともできるが、もち
ろん子供の頃にはそんな事は一かけらだって思ってはいなかったはずで、成
長に従いどこかそう感じているのだと思う。
でも結果として、私自身を否定をされたわけではないので、私は今ここに
こうしている、と言うわけだ。なのに、何も恩返しをできていない。母の思
う良い人ではない。そんなことがフラッシュバックする事がある。
こんな感情は、自分の周りを見渡したときに、時に発作のように訪れる。
たとえば本を読み出したら止まらなかった少女時代の名残で、寝室には数冊
のまったく異なるジャンルの本が常時読み齧りのまま置いてあり、何となく
手に取ったものを読む。今置いてあるのは、古い月刊誌「イマーゴ」が何冊
か、浅田次郎さんと三谷幸喜さんのエッセイ、手塚治虫さんの「ブラックジ
ャック」(30年以上にわたる愛読書)、「火の鳥」と言ったコミック、カ
フカの「変身」、上野千鶴子さんの「発情装置」、韓国語のテキスト、「病
気の地図帳」「からだの地図帳」etc・・・。気が向いた時に何となく手に取
る。ここに置くものは増えたり減ったり、入れ代わりがある。そしてMDプレ
イヤーとその時の気分の自分で編集したMDが数枚。息子たちは既にMP3を導入
しているのに私はまだまだアナログなのである。思うにこの部屋は、まさに
私のこころの入り口なのかもしれない。
でも居心地の良さとは裏腹に、どこかで追われるような責められるような
感じがでてくることがある。この感じには、確かに覚えがあるのだ・・・。
昔は、こういうことをすると母によく注意をされた。まあ、確かに母の思
う美しく整っている状態とは言い難くなる。でも、私には居心地が良い。し
かし母にとっては私の居心地の良さよりも整っている状態の方が心地の良い
状態となる。こういった事が私と母との間の葛藤を象徴している気がする。
今になれば、親子と言えども感性の違いや価値観の違いがあることを、うま
くコミュニケーションが取れたり折衷案を用いれば解決できたのだろうが、
あの当時の私たちには到底無理だったなあ、と思ったりする。未熟者、でし
たね、今以上に。まあ、母のおかげで家庭環境は整い、私もやろうと思えば
できる事を実践で知ることができた、少々のストレスと引き換えに。
家族とは、こんな風に互いの違いと暮らしていくものかもしれない、と四
十路半ばにしてしみじみ思う。
翻って母の側から見てみれば「理解不能」の部分を多く持つ娘と付き合う
のは大変なことだっただろうとも思うのだ。でも私としては母の愛情は充分
に感じていたし、この両親の元でなければ私は今の私でないと思っており母
にもいつだったかそう伝えた事があるが、その時には母はうっすら涙を浮か
べて「そう言ってくれると嬉しい」と言っていた(憶えてるやろか・・・)。
母には母の思いがあり、私を母の思う「標準」かそれ以上に育てたかったの
だろうが、どうやら母の思う規格を私は生まれる時に選ばなかったようだ。
でも母の与えてくれた「本を読む」「音楽に親しむ」と言う環境は今の私に
は欠かせないものとなっている。そして整理整頓能力は、私が選ばなかった
規格に含まれるようだ。
そんなことを思うにつれ、カウンセリングでもお話しすることがある話だ
が、自分が今「この体」を使っていることの意味を思う。体、と言うものに
は容貌、体型の他にいろんな感性や能力、得意、不得意も含んで、である。
そして「この体」がどこからやってたかを思う。家族や環境、出来事などど
れかひとつ違っていても少しは違った人生だったはずで、どこか一箇所違っ
ていたら「今ここ」の自分はありえないと思うからである。そう考えると、
「今ここ」の自分をどう生きるかがこれから先の自分を決めると言う事にな
る、ごく当たり前のことだが。
自分の真価を過小評価しては将来は先が見えてつまらないだろうし、かと
いって根拠のない過大評価も事を遅らせるのではないかと危惧したりもする。
要は、自分の事をどれだけ解り(あるいは解かろうとし)、自分(の能力)
をどれだけ信じていけるか、今の自分が持っているものをどう活かせるか
・・・が人生の後半に差し掛かった今、とても重要な課題のように感じてい
るのである。
護ってくれた人、解かってくれた人、信じてくれた人、家族、愛する人、
信頼する友人たち。その温かさ。きれいな涙。まっすぐな瞳。こぼれるよう
な笑み。優しい思い出。想いのこもった言葉。
私自身の中にどれほどの宝物が詰まっていることだろう。私がしてきたこ
と・・・失敗したこともうまく言ったことも・・・、今楽しんでいることや
大切なもの、大切な人たちとともにある、私自身が宝箱なのだ。
これは、紛れもなく両親から受け継いだものを私テイストにいつの間にか
仕立てつつある、と言うことなのだろう。だから自分らしく生きる事こそが
両親からの贈り物でもあり、私が贈っていけるものでもある、と思う。
気がつけば人生も半ばを過ぎていて、得たものも多ければ手放したものも
また数知れない。痛みを伴った別れだって有った。でも、どんな自分であっ
たとしても、私らしく居つづける事が、私を信頼してくれている人たちへの
私からの贈り物。どんな自分も活かし続ける事が自分にも周りにも何よりの
贈り物になるのだ、と思う今日この頃。
もっと私自身を開いていこう。今よりもさらに。宝箱の中身をもっともっ
と増やして大切に扱いながら、惜しみなく開いていきたいと思っている。
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