長い人生の中で、とってもとっても苦しいとき、というのはあります。
そんなときに、私を支えてくれたひとがいました。
それは、たくさんいて、数え上げればきりがないほどです。
中でも、本当に苦しいとき、カラカラに乾いているときというのは、
ドロ水でも飲みたくなってしまうものなんですよね。
ドロ水をがつがつと飲んでいるさまは、どう考えても見苦しく、あまりひとにはさらしたくないものです。
けれども、ひょんなことから、あるひとに知られてしまうことになった
のでした。
当時、そんなことを知られた私は、顔も合わせたくないし、何も話した
くないし、とにかく避けていました。
が、そんな抵抗もむなしく、そんなひとほど、しょっちゅう顔を合わせ
なくてはならなかったり、避けられない立場だったりするものです。
しかも、おばちゃん根性(?)で、ドロ水を飲んだんかい?
と、念押しまでしてくる始末です!!
私はバツの悪さから、開き直ったのでした。
私はドロ水のみましたよ。
そういう人間です。
でも、そのひとは、何も批判めいたことはせず、
「そうだよなあ。つらいよなあ」
と、私の気持ちを分かってくれたのでした。
彼女自身もまた、さまざまな経験を積んだ、人生のエキスパートだった
のです。
だから、私が今、ドロ水を飲まなくてはいられないほど、精神的にドロ
グチャの状態だということを、ただただ、理解し、胸を痛めてくれたの
でした。
それから、ずいぶんと経ったとき、ふと、自分の中で、フラッシュが炊
かれたように、そのことが浮かび上がったことがありました。
それは、前に進もう、そう決めたときでもありました。
ちょっとしたきっかけで、突然、思い出したのです。
私は、彼女にお礼を告げたのですが、声になりませんでした。
感謝の気持ちを伝えながら、連続して、あのとき、同じように私のこと
を大切にしてくれたひとたちのことも思い出したのでした。
ああ、そういえば、こうやって、いつも私の前で、
大丈夫だよーー
って、笑ってくれていた友達がたくさんいたなあ……。
ちなちゃんは、しあわせになるって決まっているんだから。
私の美しいヴィジョンを勝手に決めつけて(笑)、見てくれたひとたちの
ことを。
彼らは、優しく笑い続けていました。
その、私に向けられた笑顔がよみがえったのでした。
今だから、分かることがあります。
あのとき、彼らだって、私と同じように問題はあったんです。
それでも、私の前では、いつも笑顔で、私の明るい未来を見てくれて
いました。
どんなに私が泣こうとダダをこねようとも、何いってんのー、といった
感じで笑い続けてくれた強さ。
その、ゆるぎない信念に。
時には一緒に泣いてくれたこと。
あるいは、私のために泣いてくれたこと。
流してくれた涙の価値に。
そして、ボロボロの雑巾のようなドログチャな私を、ただ、見守って
くれていたこと。
その胸中は、決して穏やかではなかったにも関わらず、荒れ放題の私に
は何を言っても逆効果と分かっているから、何もいわずにいてくれた
こと。
眼をそらすことなく、ただ、私を愛し、信じて時を待ってくれた、その
思いの強さ、深さに。
もう、思いが止まりませんでした。
次から次へと、あふれて、こみあげてきて、本当に、本当に、なんて、
友人って、ありがたいのだろう、と感じたのでした。
「愛」が、「恩恵」が、次々と湧き上がってくる、そんな感じでした。
「人を癒すのは、心理学ではありません。ひとの愛です」
私の先生は、いつも言います。
あらゆるひとの愛が、怒涛のように自分に押し寄せて感じられたとき、
あらがうことはできません。
ただ、その優しさに包まれ、まるで、本能が全てを知っているかのよう
に、身をゆだね、漂うばかりです。
はじまりは、感謝でした。
ひとの愛を受けとったとき、自分の中から、自分以外の何者かによる、
自分以上の力が出てくるような、そんな感じがしたのでした。
疲れきったときであっても、誰かに対する思いが、自分を動かすことは
誰しもが経験するとおりです。
でも、誰かの自分に対する思いもまた、自分を動かしうるのですね。
「愛されている」ということ。
その愛が、私を動かしてくれます。
たゆたう水のごとき、ふくよかなゆたかさをもって。
私一人では、今ごろ燃え尽きてしまっていたと思います。
カラカラに渇いた砂漠で、命の水を与えてくれたひとがいました。
生き返らせてくれる命の水。
母なる、聖なる水。
愛されている、という感覚が、こんなにもエネルギーの源になるなんて、
思いもしませんでした。
おしつつむような、まばゆいひかりのような、そんな感覚。
自分が自分以上になれる力を与えてくれる、そんな泉が、あったのです
ね。
私を待っていてくれるひとがいるから、私は、生まれ変わることが
できる。
この経験があるからこそ、私はカウンセラーという仕事に信念を持ち、
続けているのかもしれません。
これからも続いていくであろう、ひととのかかわりの中で。
私の中にある泉の水も、分かち合っていきたい。
そんなふうに、思っています。
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