10年ぶりぐらいだろうか、先日、父の故郷を訪れる機会があった。
父の故郷は滋賀県の北、福井県に近い山の中。雪深い土地である。
父の実家は、山の裾野にはりついた集落の中にある。山の中腹には禅宗のお寺
があり、そこから下る急な坂道の両脇には家と畑が点在している。
今は、齢90歳を越えた叔父夫婦と僕の従兄夫婦がそこで生活をしている。
父が他界してからというもの、僕はそこを訪れる機会が殆ど無かった。
叔父叔母をはじめ、従兄夫婦も「遊びにおいで」と言ってくれるのだが、交通
の不便さも手伝って、なかなか足が向かなかった。
ところが今回は、従姉の息子の婚礼に「是非来て欲しい」と請われ、随分と遠
い関係ではあるがと思いつつも、「おめでたい事だし、まぁ、行ってみようか」
と久しぶりに父の故郷や実家を訪れる事にした。
結婚式は、琵琶湖のほとりにある神社で執り行われた。僕はその日の朝、母と
一緒に大阪から特急電車に乗ってその神社へと向かった。
電車は、京都を過ぎ、滋賀県に入って、琵琶湖の西側を北上していく。
秋晴れの澄みきった高い空、光る湖面のさざ波、刈り取りが終わった田圃、な
ぜかその日は見るもの全てが懐かしいような感覚だった。
特急電車を降りて、駅からタクシーで神社へと向かった。
神社に着くと、僕たちは一番乗りだったらしく、結婚式に参加する人々はまだ
誰も来ていなかった。
僕と母は、しんとした控えの間に通されて、そこで出された梅茶をいただきな
がら親戚達の到着を待った。
待つこと30分ぐらい、車が到着する音が聞こえて、親戚の一団が到着し、懐
かしい声が聞こえ始めた。僕はなぜだか、嬉しいような、恥ずかしいような
感じを覚えた。
やがて控えの間に次々とやってくる親戚と久しぶりに顔を合わせ、挨拶を交わ
す。それぞれに時を経た感じに変わってはいるが、懐かしい顔が、言葉遣いが、
そこにあった。
また、そこには、初めて体面する従姉の子供達の連れ合いや、その子供達の顔
もあった。
子供達の名前を教えてもらうが、覚えられない。僕はただ、こうして累々とつ
ながりが続いていくんだなぁ・・・そんな事を感じていた。
結婚式は、新郎新婦の心地よい緊張とともに、執り行われた。
田舎の小さな神社なので、神主さんがカセットデッキを自分で操作し、祝詞を
あげ、アルバイトなのか、あるいは神主さんの娘さんなのか、高校生ぐらいと
思える巫女さんが、三三九度で杯に御神酒を注いだ。途中、カセットデッキの
コンセントが抜けて音が出ないというアクシデントもあったが、まぁ、つつが
なく式は終わった。
披露宴は、その近くにあるホテルのバンケットホールで催された。
新郎新婦の会社の関係者、友人、双方の親戚が集まって盛大な披露宴であった。
僕と母は、叔父叔母、従兄夫婦、従姉と一緒のテーブルになり、お互いの健康
を気遣う話から始まって、お互いの近況などとりとめのない話しに花を咲かせ
た。
その日の晩は、父の生家である叔父叔母の家で2次会が催された。
新郎新婦は友人達との2次会があり、そちらに出かけたが、披露宴に出席した
新郎方の親戚はほとんどみんなそこに集まった。
そこでは披露宴とはまた違って、杯を片手に打ち解けた感じで各々の今の状況
の話をしたり、昔話をしたり、世間話をしたり、といった時間が流れ、とても
楽しい時間を過ごすことが出来た。父方の親戚とこんなに心を開いて話したこ
とは、今までになかったような気がした。今までは、何か、父方の親戚に対す
る漠然とした怖れのようなものを感じていて、自分自身が心を閉ざしていたん
だなぁと思った。
実は、子供の頃、父と一緒によく、父の実家に遊びに来た。
春には田圃で蛍狩りをして遊び、夏には川で鮎などの魚を手づかみし、秋には
山へ栗拾いに行った。祭りがあると、遊びに行って叔母さんからお小遣いをも
らい、従姉に夜宮に連れて行ってもらって、ニッキ水とかお面とか、綿菓子を
買った。そんな楽しい時間を一杯過ごした事を思い出す。
父は父なりに、自分が楽しんだその体験を、僕にもさせたかったのだろう、と
今になってそんな事を思う。
でも、当時は余り父の実家に来ることが好きではなかった。
子供の頃から、父に対する漠然とした畏怖の念があったからかも知れない。
しかし、今思うと、ただそれだけではないような気がする。
母によれば、僕が小さい頃、おそらくは4〜5歳ぐらいではないかと思うのだ
が、父が少し借金を抱えて、一緒に住める家が無くなり、3ヶ月ぐらい母と僕
とで父の実家で住まわせてもらったことがあるらしい。その時、母はとても居
づらく、苦労したとの話しを後になって聞いた。僕にはなぜかその時の記憶が
ひとかけらも残っていないのだが、その時の状況が僕の心の深い部分にあって、
父の実家に来ることに怖れや抵抗を感じていたのかも知れない。
翌朝、僕と母と叔母さんの3人で近くにある先祖のお墓参りに出かけた。
昔は土葬だったこの地も、十何年か前には墓地の改葬が行われ、綺麗な墓園に
なっている。先祖の墓の前に立ち、花を供え、蝋燭に灯をともし、線香を焚き、
手を合わせた。新郎新婦の新しい生活の門出、叔父さん叔母さん、従姉兄達、
従姉の子供達、そして僕と母。祖先から連綿と続くこの繋がりに不思議を感じ
るとともに、今ここにいる僕を感じ、先祖に感謝の気持ちを伝えた。
秋晴れの日の光の中、墓園から見える、澄み切った青空に浮かび上がる山並み
は、僕が子供の時代に見たそのままの姿で、しかし何故か優しく僕に微笑みか
けているように感じた。
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