子供が自分の人生に入ってくるということは、とても大きな冒険であると
思っています。たとえば結婚してパートナーを得る、ということも、一緒に
歩んできたけれど生き方を選び直す、ということも、もちろんそうなのです
が、子供が自分の人生に入ってくるということはまた違った趣があります。
それは果てしのないような喜びだったり言いようもない責任感だったりしま
すが・・・それまでの生き方や価値観のいくらかを変えることでもあるとも
思います。そしてそれは、私たちの親が感じてきたことでもあります。
子供を育てる・・・人間として共に育つ中で得ることのできるものは少な
くないし、そのために自分の人生の方向性を変える、あるいは生き方自体が
変わる(あるいは変えざるを得ない?)こともあります。自分にはできない
ことができたり、考えたこともないことを子供が見せてくれたりと、自分以
外の人生に深く接することのできる機会でもあります。しかし、子供も自分
自身もそして周囲も、人間であるがゆえに、そして性質も性格も、ものの見
方も違うことから一緒に生きようとした時に悩みを抱えることも少なくあり
ません。社会の中では、誰とも接せずに生きることなど到底無理ですから、
いろんな次元での「ひと」対「ひと」のつながりや軋轢が当然出てきます。
それがたとえ自分が育てた子供であったとしても、個々の社会を持ちます
し、子供社会の中での役割やその子らしい生き方が出てきます。「子供の社
会」もまたひとつの社会であり、成長したときへの少なからぬ影響を思いま
す。
「ひと」は赤ちゃんとして誕生するときに、物理的に母親から分離しま
す。ところが「ひと」の赤ちゃんは他の動物たちと違い、生まれたときには
歩くことはもちろん、立つことも這うことすらもできず、単独で移動するこ
とはできません。これが人間は生理的に未熟児で生まれる、と言われる所以
です。少なくともこの地球上では最も優れた知性を持っているといわれる私
たち人間が歩いたり、食べたり、言葉を使ったり、一人で排泄したり・・・
というように「一人前」の行動をするのには少なくとも数年かかります。社
会的な動物「人間」として生きるにはそういったことができるようになって
からもさらに時間を要します。
未分化な心を持つ子供時代に起こったさまざまな出来事は、はっきりとし
たストーリーとして憶えていることもあれば、印象として残っていたり、日
常的にはまったく記憶にはあがってこないこともあります。しかし、何かの
ときにふと思い出したり、行動パターンを振り返る中で思い出すことがあっ
たりするようです。そしてまったく気づかないまま、まるで刷り込まれるよ
うになっている自分の行動や体験のきっかけになっていたりすることも少な
くないようです。子供を育てる、一緒に暮らす中で、そういった「記憶」に
よる自分のパターンや想いが出てきたときに、あたかも古傷が痛むような経
験をすることは決して少なくないのでは、と思います。
たとえば、自分の子供が他の子供たちの輪に入れないような状況にいる事
や、うまくいかない何かに悩んでいるようなことを感じたとき、あるいは事
実として知ったときに、親自身が同じような状況にいた頃の気持ちを思い出
して、子供の痛みをあたかも自分の痛みとして感じてしまう・・・。助けて
もらいたかったこと、助けてもらえなかったことを思い出し、今度こそは自
分が・・・と子供をその苦しみから何とか救い出そうとする。何とかしてや
りたいと願い、色々と考えたり試みたりもするかもしれません。でも、ここ
にいるのは明らかに大人の自分で、助けたいと思っている対象は目の前の子
供なのに、感じている感情は親自身が子供の頃に感じていた感情であること
があります。そうすると、子供のピンチに直面した時に親自身が、子供の頃
のように恐怖感を持ったり、その場や状況から逃げたくなったり、事態に正
面から向き合えないような感覚を持ってしまったりする事があります。
こういった事はほんの一例です。そして、子育ての場面に限らず、日常生
活や社会でも起こりがちです。でもそのことに何時も自覚があるわけではな
いので、対人関係にトラブルを起こしやすかったり、仕事が続かなかったり
と言うような目に見える問題を抱える事もあるし、それほどではなくても自
分の中に抱え込んでしまうようになり、ストレスを感じたり、心身に影響が
出る事もあります。また時には身近な大人・・・それはパートナーだったり
親や兄弟だったり職場の同僚だったりしますが・・・にそんな「子供じみた
」部分を感じる事もあるかも知れません。
まあ、考えてみれば誰だってお母さんのお腹から生まれてきたときは赤ち
ゃんですもの。そんな目で、身の周りの人を見てあげるのも、時には良いか
もしれません。でも、あなたの中にも、そんな子供の部分や満たされなかっ
た想いがたくさん存在します。それは自分の子供や周りの人の痛みと共に現
れてくるような事もあるでしょうし、あたかも奥深く抱え込んでしまうよう
に感じることもあるかもしれませんね。子供の頃の想いを憶えているとした
らそれはあなた自身を癒す、と言う観点から見ればとてもラッキーなことで
す。なぜならばあなたがその自分自身の中にいる「幼い子供」を抱きしめて
あげるチャンスにできるからです。これは、心理学的に言うと「インナーチ
ャイルド」を癒す、と言う方法になります。取れる手法は様々ですが、ここ
では一人でできる簡単な方法から。
あなたが一番泣いていた子供の頃の記憶がありますか?あればその頃の自
分を思い浮かべて下さい。この子はどうして泣いているのでしょう。寂しい
から?誰かに意地悪をされたから?お父さんやお母さんに叱られたから?大
切な宝物をなくしたから?
まず、そっとその子を見つめてあげてください。立っていますか?座ってい
ますか?膝を抱えていますか?どんな泣き方をしていますか?
近くのあなたに気がつくでしょうか。気がついたのなら、そっと近づいて
あげてくださいね、そう、怖がらさないようにそっとね。気がつかなかった
ら、もう少し見てあげてください。そして、大丈夫だな、と感じたら、そっ
と声をかけてあげてください。その言葉は何でも良いですよ、「寂しい?」
「どうしたの?」などありきたりで良いんです。こちらに気がついたら近づ
いてそっと頭を撫でてあげてください。そしてこう言ってあげるんです。
「ずっと一人で頑張ってきたんだね。でも、今日は一人じゃないよ。一緒
に居るからね。本当に良く頑張ったね。」
あなたの中の幼い子供は、どんな顔をしていますか?実際にこの年代のあ
なたには誰かこんな風に頭を撫でてくれた人はいませんか?もしいなかった
ら、今日はあなたがその人になってあげるんです。そして、あの時してほし
かったようにたくさんたくさん大事にしてあげてください。抱きしめてあげ
て、この子が眠るまで一緒にいてあげてくださいね。
さて、現実の世界に戻ってきたら、あなたの周りの「小さな子供たち」に
目を向けてみてください。子供だけでなく、パートナーだったり、友人や同
僚だったり・・・。みんな同じように自分の中に満たされなかった子供を抱
えています。少し、そんな目で見てあげてくださいね。そのことに気づかな
いか、あるいは気づきたくない、と言う事もあると思うんです。でもみんな
同じなのは、「誰かに分かってもらいたい」「愛してもらいたい」「優しく
してほしい」のだということ。こんな子供の時代からこれは変わらないこと
なのです。子供の頃、願いの多くはかなえられた、と言う人ばかりではなく
あまり恵まれた環境にいたとは言えない人も少なくありません。そういった
体験が成長後の生き方に影を落とすことも少なくないのですが、何とか自分
で乗り切ったと言う方もまた少なくありません。もちろん、その程度や個性
の差、そのほかの環境による違いもあるのですが、いずれにしろ、幼児期の
体験は思うよりも心の中に深く根付いていることが多いようです。
さっそく、心の中に住んでいる子供時代の自分に会ってみてはいかがでし
ょうか。その子は泣いているかもしれないし、今のあなたをみてニコニコ笑
うかも知れません。「私(僕)は悪くない?頑張った?私(僕)を叱らない
?」そんな事を言うかもしれないし、「大好き!!」って飛びつくかもしれ
ません。そう、子供の頃あなたがお父さんやお母さんにしたかったように。
そんな子供時代の自分に出会ったら、思う存分愛してあげましょう。それは
あなた自身を愛する事でもあるのです。
訳の分からない不安や悲しみの中にはこう言ったことで少しずつ楽になる
ことがあります。もちろん自分自身を何とかするだけではなく、信頼できる
誰かに自分を預ける、と言う事もまたとても大切です。
そして・・・子供の中の無邪気さやどこか侵しがたい清らかさは、実はあ
なた自身の中にあり続けるものです。今日は、子供時代の自分を抱きしめな
がらそんな部分を取り戻す日にしてはいかがでしょうか。
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