Just Now〜価値のある瞬間〜

 一人になりたい時、屋上に上がる。神戸の下町の住宅街にある我が家は、
築30年を越える古い一戸建て。この家に転居を決めた理由はいくつかある
が、敷地内に車が置けること、家族それぞれが個室を持っても部屋が余る、
などだったのだけど、思いのほか駅にもバス停にも近く、コンビニも見える
ところにあると言う、私にとっては結構恵まれた環境にある。足を運ぶこと
が少ないにしろ、実家も近い。収納が少ないのが難点だけど、とりあえずは
部屋数でカバー、というところかな。
 普段、仕事をする部屋は(よく言えば書斎?)一番広い部屋で10畳くら
いの洋室で、建築主の依頼なのだろう、石とタイルでできた可愛い暖炉の棚
が作りつけてあったりする。その上には、可愛いランプが壁の高い位置に二
つ。室内には収納が全くないので、本、CD、MD、衣類などの棚類、電子
ピアノ、デッキにスピーカーで、一杯。いつかは壁一面に棚のある部屋に、
こう言ったものをスッキリと片付けて広々と暮らしたいと、切に切に願って
いるんだけど・・・。


この部屋の上が、私が一人を満喫する「ささやかな屋上」になっていて、後
遺症のある左足を鍛えるべく、夜更けに星の下で、好きな音楽を聴きながら
スクワットやストレッチをしたり、ぼんやりと空を眺めたり・・・。
早朝や夕暮れ時に街の色の変わる様子に見とれたり。この間のナントカ流星
群が訪れたという時には、いくつかの彗星を見つけたりも。以前住んでいた
マンションとは違い、夜景と言うにはあまりにもささやかな町の色と匂い。
季節ごとの風。虫の声。雲の流れ。そんなありきたりな景色にほっとする。
 こう言う何も考えていないような時間こそ、想いもかけない感情がわきあ
がって来たり、意外な事を思いついたり思い出したりすることが多い。貴重
な「孤独」を味わえるひとときでもある。寂しがりのくせに一人になりたい
なんて、全く自分ほど説明の難しい人間はいないに違いない、と思う。
 説明のつきがたい自分、と言うと、私の癖と言うか何と言うか、易しい事
と難しい事があると、好んで難しい方を取る傾向が強いことを、まず思う。
でも、これがこと対人関係となるとどうだろう。一見難しいと見える方が実
は、互いに深く理解ができたりもする。難しい、と思うような相手の中に自
分との共通点や、理解しやすいところを発見すると、却って近しく感じてし
まうように思ったりもする。
 そう言えば、高校時代、親友に言われたなあ・・・。
「あなたを見ていると、世の中の人の多くが結婚していくのが理解できる気
がするなあ。あの人(当時好きだった彼)は、確かに良い人だと思うけど、
私の恋の相手にはちょっと・・・。」
 いやいや。それはお互い様ってことで。・・・ なんて言葉を当時の私
は、言えなかった。だからこそ、30年も経った今も覚えているんだなぁ、
と思う。言えない言葉は、心の中で碑になるのかも知れない。彼女はきっと
忘れているに違いない。来年の春、同窓会で逢えたら聞いてみようかなぁ。
 そう言えば、私はこう見えても、なかなか言えない言葉が多く、心の中に
たくさんの碑を持っている、と思う。こうしてコラムなどを書かせていただ
くことで、そんな言葉達は生き返る、といっても良いかも知れない。
 そして・・・類は友を呼ぶ、の例えどおり、何でも言いそうに見えて言え
ない人が周りには増える。実は、私は幼い頃、年子の弟の「通訳」をしてい
た、と言う。喋りたいのに伝わらなくてもどかしがる弟のために、私が代わ
りに周りの大人に、「あんな、『こんなことをしてこうしたい』って言って
るねん」と注釈をして回っていたらしい。しかしその一方で、弟はおねだり
上手だった、と記憶しているし、私はその反対だったと思う。おもちゃ屋さ
んの店頭で、何がほしいか言えず・・・と言うかわからず、よく親を困らせ
ていた記憶がわずかにある。ああ、三つ子の魂って・・・と思う記憶でもあ
る。
 ・・・と言うような事を、屋上でぼんやり空を眺めながら脈絡なく浮かべ
る、流していく。あ、今の思いつき、ちょっといいぞ!と思っても、特に記
録をしておくでもない。だってそれでは楽しめないもの。また出てきた時の
お楽しみにしておこう。その程度に、留めておくことが多い。
それにしても全く、人の脳って不思議でもあり、良くできているなあ。
昔、不安に思ったことの一つは、目覚めたら全ての記憶がなかったらどうし
よう、と言うこと。眠る、と言う事は言うなれば意識をなくすこと・・・。
確かに、大切な持ちものや宿題を忘れた事は、結構あったな。でも、嫌なこ
とも楽しいことも、そんなには忘れてはしない。そんな脳の仕組みを書いて
ある本を見て、すごいなぁ!!と思いはするけれど、これは残念ながら、私
の頭の中にちゃんと残ってはいない。元々の頭の出来だよな。とほほ、仕方
がない。
 なんてことも思う。で、そんな時、目の前で、二羽の鳥が仲良くさえずり
ながらスクランブルしているのを見て、仲良きことは美しきかな、と思う。
こうして書くと結構忙しいが、そんなときの私は本当にぼんやりしている。
そして、とても楽な気分でいるんだなあ、と後で思う。
 えっと、今回のお題は何でしたっけ?
 あ、そうそう、Just Now。今、まさにこの瞬間。今しかない、貴
重な瞬間。いつもこれを感じられたら素敵だな、と思っている。どんな気分
の時も、ね。
 旧約聖書の一節にこう言うのがある。
 「天(あめ)が下、全てのことに時がある」
 うろ覚えだけどとても印象に残っている。何かを始めるにも止めるにも、
時がある。簡単に言うとそんなこと。でも、深く心に残っている。違う言い
方にするなら、「全ての事はプロセスである」と言う、プロセス指向心理学
の考え方と同じかな、と思う。どんな出来事も、遅すぎたとか早すぎたとか
ではなくて、ちょうど良い時期に出逢っている、起こっているのだ、と言う
考え方。色んな出来事を受け容れることができるには、もちろん一筋縄には
行かないことばかりではあるけれど。
 あの時、こうだったら。こうでなかったら。あの出来事がもう少し早かっ
たら、遅かったら。あの道を右に行っていたら。あの日出かけなかったら。
自分が男(女)だったら。この国に、この時代に、生まれていなかったら。
 そんな風に思うことはとても多いけれど、もしもちょうど良いときに、一
番ふさわしい場所に自分がいたからその出来事が起こった、としたらなら。
そう思って見ると、見える景色が違うかもしれない。
 そんな風にも思う今日この頃。
 今日も、ささやかな屋上からの、ささやかな景色と過ごす、この時間。明
日の景色は似ていても、もう同じではない。だから、今のこの景色、想いを
大切にしたい、と思う。
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