「剣客商売」は「鬼平犯科帳」でおなじみ池波正太郎さんが執筆された時代小
説です。1972(昭和47)年1月から1989(平成元)年7月まで「小
説新潮」で断続的に連載されました。僕は以前コラムで「鬼平犯科帳に魅せら
れて」を書きました。
(2007・5・5分をどうぞ)
そちらでは筆者の池波正太郎さん(1923・大正12年~1990・平成2
年)にはふれなかったので、初めての方のために簡単に紹介します。池波さん
は東京の下町・浅草生まれで、小学校卒業後は茅場町の株式仲買店や旋盤機械
工・旧日本軍の通信兵を経て、太平洋戦争後は東京都職員をしながら余暇の合
間をぬって小説を書き、俳句や短歌を楽しんでました。同時に舞台用戯曲も手
がけ、それが各地で上演され始め、1955(昭和30)年には東京都を退職
し、執筆活動に専念しました。時にはラジオ・テレビドラマの脚本を、あるい
は週刊誌や月刊文芸誌に小説を連載しながらの流れの中で生まれた代表作のひ
とつです。
剣客商売の時代背景は江戸時代の半ばの平和な1777(安永6)年頃。十代
将軍家治(いえはる)の治世です。(鬼平犯科帳のヒーロー・火盗改め長官・
長谷川平蔵が現れるのはもう少し後の1787(天明7)年です。)
剣客とは剣術を得意とする武士で、腕のある侍達は平和な時代に入って戦場で
活躍する機会がなくなりました。そこで彼らは各々の剣術を「流派」という形
で体系化して、自らを武芸師範役(コーチ)として幕府や諸藩をお客さん(ク
ライアント)に売り込んでました。仕官する(直接雇われる)者もいれば町道
場の先生を続けながら稽古日を決めて出入りする、派遣のコーチを引き受ける
者もいました。全員がコーチ職につけるわけではありませんでした。大きな商
店の用心棒(ガードマン)になる者もいました。
剣客商売の主な内容は、無外流と呼ばれる流派の老剣客・秋山小兵衛(こへえ
)を主人公とし、四十の年齢差で小兵衛の隠宅奉公人からそのまま奥さんにな
ってもだんなさんを「先生」と呼ぶ二十歳前の女性・おはる、小兵衛の息子で
若剣客の大治郎(おはるより少々年上)、そして時の老中・田沼意次の娘なが
ら町人宅で過ごす男装の若い女性剣客・佐々木三冬らが江戸を舞台に様々な事
件や出来事に遭遇し、活躍します。小兵衛は隠居の身で気ままな暮らしながら
も身の周りや知り合いの人が困った時、ちょいとお節介をやいて入れ智恵して
あげたり、悪事にまきこまれたり悪人にからまれた時は助太刀するほど俊敏で
人情味あふれた小粋なじいさんです。文庫本・コミックの他に舞台や、二度に
わたってTV化されました。(藤田まことさん主演シリーズならレンタルDV
D屋さんで借りられるかと存じます。)
今日は剣客商売・第2シリーズ第五話「勘ちがい」からです。おはると同じ年
で腕のたつ男性剣客にも劣らぬ女性剣客・三冬の家に、父・意次からある日千
両の大金が届けられました。千両は当時のお金で一生遊んで暮らしてもあり余
る大金でした。三冬は幼い頃から知人に預けられ、直に接する機会も少ないま
まで剣客を志すことに意次は一抹の不安を感じてました。そこで一緒に住もう
と何回も誘うのですが、三冬は聞こうとしません。意次は娘の世話をしながら
花嫁修業をしてほしいと願ってました。三冬は子供の頃から何も構ってもらえ
ず、ある日意次から父親の名乗りを受けてからは一層反発するかのように男性
らしい振る舞いをしたいきさつがあります。
三冬にすれば意次からいきなり千両を渡されてもどうしていいか、さっぱりわ
かりません。大治郎に相談すると「商人に刀を渡していきなり百戦練磨の侍と
戦えと言うようなもの。」と意次の真意をはかりかね、ついに小兵衛宅で預か
ってもらう所から物語は意外な展開を見せます。
池波さんの作品で意次は、先を見通したり心配りの細やかさで政務に卓越した
人として登場します。周囲の人への付け届けやおみやげ・ねぎらいを忘れなか
ったそうです。気持ちよく働いて励んでほしい願いをお金やモノにこめたので
しょうね。(昨今では面倒見のよさと目配りの広さが同僚幕閣の嫉妬やねたみ
を買って失脚したと見るのが有力で、一般的な「好ましからざる人」のイメー
ジとはちょっと違うようです。)
さて、意次が三冬にしてあげたことは「してあげたら喜ぶだろう」と思ったこ
とでした。でも三冬は、そうは感じませんでした。投影の法則では自分の中に
あるものを鏡に映し出すように相手を通して感じることとされます。つまり意
次がしたことは「自分が相手からしてもらえたら嬉しいこと」をしてあげたの
だと思います。その前提でお話をするなら・・・意次の職場の人たちはそれで
受け取ってくれたし、問題はなかったのでしょう。しかし、中にはそうとは限
らない場合もあるのです。もちろん意次にも悪気はなかったのでしょうが。
後に三冬は小兵衛や大治郎と接するうちに女性らしくなって大治郎と一緒にな
りますが、この頃の三冬は剣の道を極めるのを見守り応援してほしかった。そ
れが三冬には自分が父親から自分が尊重されてる、愛されてると感じることだ
ったからです。「こうしてあげたらきっと喜ぶに違いない。そうすべきだ。」
って思い込みや観念は、時には諍(いさか)いや誤解を生む・・・これを池波
さんは「勘ちがい」ってわかりやすいタイトルをつけたんだと思います。(千
両は預かった小兵衛が人づてに意次へ返しました。)
今、あなたの身の周りにいる大切な人がいて、その人に何かしてあげたいこと
があると思ってみてくださいね。あなたが「してあげたら喜ぶだろう」と思っ
てることは、相手の人が本当に喜ぶことでしょうか?中にはあなたが「しても
らったら嬉しいし、相手もきっと同じに違いない。喜ぶだろう」とは限らない
ケースもあるんですよね。でも御心配なく。違うとわかったら修正するだけで
OKです。
その人が本当に「してあげたら喜ぶこと」を探していきましょう。
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