梅雨からの贈り物~~恵みの雨と青い空~~

 この稿を書いている今は、まだ梅雨のただなかです。日ごとに変わる天候
と駆け引きをしながら、お洗濯をする日常なのですが、今年の空は、晴れた
日は思いっきりカラッとしている気がします。
降る時は降り、晴れる時にはすっきり晴れて、湿度も低い。
ついつい、自分のことを重ねてしまいますが、そんな風でありたい、と思っ
ていた少女時代にしばし戻っていました。
 雨の日には雨の、晴れた日には晴れた日の、曇にはまた曇の日の楽しみ方
がありますよね。でもつい、雨の日を「うんざり」にしてしまっていること
を思うのです。
 でも、少なくとも子どもの頃は、そうではなかったなあ。


 ガラス窓を流れる雨に、いろんな模様を想い描いていた。
 屋根を打つ大きな音の不規則なリズムに、メロディーを重ねていた。
 ゆるい坂道を流れる雨水の、行く末を楽しんでいた。
 幼い頃には見えたもの、聞こえたものが、今はこんなに遠い。でも、そん
な事にも気付かない日常。いや、気付かないようにしている、と言う方が、
きっと正しいんだろうな。
 
 もう、成人の息子が2人、何とか育ってくれていますが、彼らが幼かった
頃、彼らが見たものを私はきっと見ることが出来ていなかった、と思いま
す。それは、物理的にもそうですし、彼らが見る、何かの価値なんかも、見
ることが出来なかったか、見ることをしていなかったと思います。
 フルタイムで働いていたので、子供達は0歳からの保育所育ち。朝から晩
まで、親元を離れて過ごすわけです。でも、そのことで却って、のびのびと
できたのかもしれませんし、その実は、寂しさを補って貰っていたのかも知
れません。
そこには、多くの先生方の、温かく見守る目や、想いがあったからに他なら
ないのですが、もちろん、子供達はそんなことは当たり前、なんですよね。
親に対しては、今もって、してもらうことが当たり前。うん・・・振り返る
と、自分自身もそうでしたから、親子の(養育者と被養育者)の、絆とは、
こう言ったものが、きっと大きいのでしょうね。
 当時の息子達の宝物は、「ダンゴ虫(南京虫)」や「ピッカピカの泥ダン
ゴ」、先生が作ってくれたお誕生日カード、親と一緒に折った折り紙・・・
大人の私達が置き忘れてしまうようなものだったりします。
 子供達はもちろん、「投影」と言うことを知るすべも有りませんから、自
分達にとっての宝物を、プレゼントしてくれます。その時の彼らにとっては
最高の贈り物として。
 それができたての泥ダンゴだったり、南京虫や、殻のないでんでん虫
・・・つまり、ナメクジなんですが、そう言ったものだったりするんです。
まあ、正直な話、あまり嬉しい顔が少なくともその瞬間にはできなかったり
してしまいます。
 成長した今、息子達とそんな話をすると、覚えていることにはコメントを
つけてくれますし(大抵は、あれは傷ついたなぁ、ということ^^;)、
そうでないことは(あるいは、都合の悪いことかも)、そうやったかな~、
と受け流して聴いています。
 ま、これはお互いですね。
・・・とそんなことを思っていると、大人になってもよく似たことをして
いるよなあ、と思うに至りました。
 相手を喜ばせたいために、自分が日ごろから欲しいと思っているものを
贈ってみたら、思わぬリアクションにがっかりしたり、反対に、相手の欲し
いものをリサーチしすぎて、どうしてあげたら良いのかわからなくなった
り、と。
 私自身のことで言えば、大体はまってしまう時には後者のパターンになり
ます。そして最悪なことに、そこを通りぬけたいが為に、自分本意な与え方
になってしまったりするんですね。
 逆に、贈られた側のリアクションとしては、子供達は本当に正直です。そ
れが、大人から見たら大した物でなくても、そう、お菓子のおまけでさえも
何億円分の贈り物(そんなもの貰ったことがないので、実際はわからないん
やけど)にも該当するような、大喜びをしたり、高価なものをあげても、関
心がなければ、ふんっ!とばかりに置き去られていたりします。
 
 まあ、そんな時には親としてはとってもがっかりするのですが、これは、
子供達にしてみれば、大切な泥ダンゴをお母さんに贈った時のリアクション
と同じだったりするわけです。
 もちろん、成長に伴って価値観も変わるのですが、例えば、パートナーに
対しても同じ事をしてはいないでしょうか。
自分にとっては素晴らしいと思っているものを、贈ったのに喜んではくれ
ず、傷ついた。
 欲しいと思っていたものを貰えなくて、とってもがっかりした。
 そんな経験は、多くの方が経験されていると思うのですが、どこかですれ
違ってしまっているんですね。簡単に言えば、贈る側の心と、受け取る側の
心が、ちょっとちぐはぐになっているかもしれませんね。
 雨は、別に私達に何かを与えよう、と思って空から降ってくるわけではな
いのでしょう(多分)。でも、それを、恵みの雨、美しい自然、と捉えるの
か、時には自然の脅威として怖れてしまうのか、もちろん思うことはその時
その時の状況もあります。
 
 でも、雨は雨、なんです。私達がそれをどう捉えているか、その気持ちが
雨を楽しめたり、憂鬱になっているのではないでしょうか。
 「雨」を誰かに置き換えてみてくださいね。そこに、今、この状況を越え
ていくヒントが、隠れているかもしれません。
 そんな気持ちでみると、梅雨の晴れ間はいつもより優しく明るく見えるか
もしれませんね。
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