今回と次回の40代からの心理学は、2008年11月30日に福岡で開催
しましたカウンセリングサービス感謝祭での僕の講演を再構成してお届けし
ます。
1.幸せは感じるもの
幸せってみなさんは何だと思いますか?
「私、幸せになります」とか、「私、幸せです」などと言いますね。
多くの人達にとって、幸せって状態を現すものなのですね。
しかし、僕にとっては沢山の仲間とワイワイお酒を飲んでいるときが幸せだっ
たりします。
ある人は、子供の世話をしているときだったり、ラブラブの彼氏と二人でいる
ときだったり、美味しいスイーツを食べているときが幸せだったりします。
このように、人によって「幸せ」って色々あって、その状態って違うのですね。
では、幸せな状態って何が共通しているのかと考えてみると、「幸せ」って感
じている事なんですね。
このことから、僕は幸せというのは状態だけを意味するのではなくて、「感じ
るもの」なのではないかと思うのです。
幸せは感じるもの・・・その人が幸せって感じたら、そう、幸せなのです。
誰がなんと言おうと、幸せなのです。
2.幸せを感じる気持ちは自分の内側にある
あなたが、「幸せ」を感じる時をちょっと想像してみてください。
幸せを感じる時というのは、果たしてどんな気持ちを感じているときでしょう
か?
ある人は、あったかい感じかもしれません。
またある人は、開放された感じかも知れません。
またある人は、安心を感じた時かも知れません。
幸せをどんな感情を持った時に感じるかというと、これも人により千差万別で
すね。
人により固有のものなのですね。
そうだとすると、幸せは自分の感情ですから、その人の心の内側にあることに
なります。
周りの状況がどうであろうと、幸せが感じられるかどうか、という事になりま
すね。
多くの事に幸せが感じられる人がいたとします。
例えば、
「今日も美味しい朝ご飯が食べられた。幸せ~」
「今日は、通勤電車で珍しく座れた。幸せ~」
こういう人は、幸せが一杯あるのですね。だから、人生「幸せ~」という感じ
になります。
しかし、幸せが余り感じられない人がいたとします。いわば、幸せのストライ
クゾーンが狭いという感じでしょうか。
例えば、美味しい朝ご飯を食べていても、当たり前で、何にも感じない。
あるいは、通勤電車に珍しく座れても、ちょっとだけ「ラッキーかな」とは思
うけれどもさほどでもない。
こんな感じの人は、気持ちが余り動かないので、何となく人生が停滞している
感じがしていたりします。
あるいは、幸せの逆、ついていない事や不幸なことにばかり着目していてると、
当然幸せには目がいきませんから、「私は不幸だ~」という感じばかりになっ
てしまうのですね。
人生を楽しく生きるとしたら、どちらが幸せな生き方でしょうか?
そうですね、幸せを一杯感じた方が楽しい人生ですね
3.感じ方にはクセがある
ここにおられる方は九州の方が多いのではないかと思います。
みなさん、普段どんな言葉を使ってますか?
NHKのアナウンサーが話すような、いわいる標準語でしょうか?
それとも、九州各地の方言でしょうか?
僕は関西で生まれ育ったので、関西弁です。
みなさんは、いつからその方言を話すようになったのでしょうか?
「おぎゃ~」と生まれたときから博多弁でしたか?
「おぎゃ~」と生まれたときから大牟田弁や広島弁でしたか?
違いますね。
親やその他の家族が話している言葉を耳にして、それを真似ていくうちに言葉
にクセがつくのですね。でも当たり前だからクセとは思わない。
感じ方も同じなんです。感じ方も、クセなんです。
ところで、博多弁や関西弁をしゃべる事は悪い事でしょうか?
答えは、NOですね。
博多弁には、博多弁の趣がありますね。女性が流暢に話す博多弁、とっても可
愛いですね。
僕なんて博多弁をしゃべる女性にはすぐにラブラブ光線を投げかけたくなりま
す。近寄って行きたくなります。
関西弁には、テンポのよさとおもろい感じがあって、何か心を動かされますね。
僕なんて、関西弁をしゃべる女性にはついついボケとツッコミを入れたくなっ
てしまいます。
そうなんですね、クセを持っている事自体は、何も「いい」とか「悪い」とい
うことではないのですね。
ただ、単にクセを持っているだけなのです。
我々はとかく、「いい」とか「悪い」という感覚で何でも判断しようとします。
それは、何かわけがわからないよりも、白か黒かを決めてしまった方が分かり
やすくて、自分の行動を間違わないだろうと勘違いしているからなのです。
実は、これもクセなのです。
もし、そのクセが単なるクセであり続けるならば、それはOKです。
でも、そのクセが何か問題を引き起こしていたとすれば、あなたにとって問題
かも知れません。
そんなときは、このクセを変えてみる事なのです。
まぁ、博多弁を標準語にしなさいというようなものですから、一朝一夕にはい
きませんね。
「出来ない」と思ってしまうかもしれませんね。
「標準語をしゃべる私?ケッ、私じゃないよ」と思ってしまうかも知れません
ね。
そんな言い訳をしながら、私たちはそのクセを守ろうとするのです。
でも、そのクセを守るより、クセを変えた方が楽と思えたらとしたらどうでし
ょうか?
それぐらいに追い詰められたらどうでしょうか?
多くの人は、やっとここでクセを変えてみようかなと思うのです。
さて、話を元に戻したいと思います。
クセの話なのですが、感じ方もクセだというお話をしていました。
感じ方についても、「いい」とか「悪い」とかはありません。
そう感じるのだから、そう感じるのです。
でも、あなたの感じ方のクセが、何か問題を引き起こしたり、その感じ方のせ
いであなたが辛くなったり、人生が楽しくなかったとしたら・・・感じ方のク
セを変えてみる必要があるかも知れませんね。
感じ方を変えるかどうか、はあなたが決める事です。
「感じ方は変えないぞ」と決めるのであれば、それはそれでOKです。
「感じ方を変えるぞ」と決めるのであれば、これもまたOKです。
ただ、あなたがどうするかを決める事がとても重要なのです。
しかし、いずれにしても言える事は、あなたがこうすると決めないと、どちら
の方向にしてもあなた自身が動かないのです。
あなたがどうするか、どうしたいか決める事、決意する事が重要なのです。
(来週につづく)
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