私達は問題を抱えると「なんて不幸なんだ!」「どうして私にこんな問題が
!」と問題を遠ざけようとしたり、問題を見ないようにしたりしがちになり
ます。
でもちょっと待ってください。
実は、問題はそれを乗り越えるためにやってくるのです。
問題は、私達がそれを乗り越える過程で様々なギフトを与えてくれて、本当
の自分の気持ちを感じさせてくれたり、今まで気がつかなかった才能を開花
させてくれたりします。
確かに、問題を抱えることが好きな人はいないかもしれません。辛い事もあ
るでしょう。
例えば、「人が嫌い」という問題を抱えた人がいるとします。
実は、その人の本当の気持ちは、「人が好き」なのですね。
なぜならば、「人が嫌い」という事が問題になっているのですから、「人を
好きになりたいけどそうできない自分」を感じて問題という意識を持ってい
るのです。
そんな問題の陰に隠れた自分の本当の気持ちに気がつくと、怖さはあります
が人間はその方向に動き出そうとします。本当の自分の気持ちに従った方が
楽だからです。
プロセスは人により様々ですが、その結果、人が好きになって、人との関わ
りを沢山持つようになります。
そうすると、沢山の人がその人の周りに集まるようになって、人と人とを結
びつけるという才能を発揮できるようになります。
そうなんですね。人が嫌いな人は、人と人とを結びつけたり出来る才能を持
っているのです。
このように、問題は私達にギフトを運んできてくれているのです。
これは、何も人間だけに限った事ではありません。
僕が住んでいる福岡県北九州市は、かつて公害の街と呼ばれていましたが、
今はそれを乗り越えて、環境の街へと変化しました。
公害の正反対にある才能が開花した訳です。
今回は、そのプロセスをご紹介したいと思います。
北九州を含む筑豊地方は多くの石炭を産出し、石炭産業が発達していました。
室町時代の中期に発見され、江戸時代には小倉藩や福岡藩の財政を潤していま
した。
明治時代の初頭、その石炭を燃料とし中国大陸の鉄鉱石を原材料とする官営八
幡製鉄所がこの地に建設されました。
それ以来、化学、セメント、窯業などの工場がこの地域に林立し、四大工業地
帯の一つとして日本の経済成長を支えてきました。
1950年代に入ると、酸化鉄の「赤」、カーボンの「黒」、セメントの「白」に
着色された煤煙が空を覆い「七色の煙」と称され、日本の、北九州の発展の象
徴とされました。
しかし、1959年から降下煤塵量は日本一を連続で記録し、1969年には日本最初
のスモッグ警報が北九州市で発令されました。
ぜんそくなどの健康被害もかなりあったようです。
この頃、この界隈の工場に勤めていた知人から、空から液体の飛沫が飛んでき
て、ストッキングに穴が空くという状態だったと聞いた事があります。
また、工場が林立するこの地域には関門海峡に面した細長い洞海湾があり、も
ともとは漁業資源が豊富だったのですが、酸性の廃液ためにこの湾を航行する
船舶のスクリューが溶けるといった状態で、魚一匹棲めない「死の海」と呼ば
れていました。
「このままでは子供の健康が心配」と最初に立ち上がったのは婦人会の人達で
した。
公害を排出する企業や関係する企業に勤務して生計を立てている家庭も多く、
そんな活動をすると会社をクビになるのではないか、との議論や逡巡もあった
ようです。
しかし、婦人会では「青空がほしい」をスローガンに、公害学習会を開いたり、
大学教授の指導を受けながら降下煤塵を測定するなどして、企業や行政に改善
を迫りました。
この運動がテレビや新聞で大きく取り上げられ、公害に対する関心が大きく広
がっていきました。
このような市民の声に押されて北九州市が動き出し、多くの企業と公害を防止
する取り決めを結びました。それを受けて企業は汚染物質の除去や生産工程な
どの改善を進めました。
また、国の動きとしては、1970年には公害関係14法案が国会で可決されました。
北九州市は公害対策組織の整備や下水道や緑地の整備、被害者の救済を進め、
企業にはより高いレベルの大気汚染防止を行うように求めました。
北九州市には技術レベルの高い企業が多かったので、その要求に応えるべく様
々な公害防止技術を開発していきました。
そしてその結果、わずか4年間で国の環境基準をクリアし、「七色の煙」もなく
なりました。
また、死の海と呼ばれた洞海湾も浚渫が行われ、企業の排水処理や下水道整備
の効果と相まって、現在では百種類以上の魚が棲める海に生き返っています。
公害という大きな社会問題を克服した北九州市は、国連環境計画「グローバル
500」を始めとして、数々の環境に関する賞を受賞し、2008年には内閣より
環境モデル都市として認定されました。
一方、公害問題を克服する過程で蓄積された公害防止技術は、現在公害問題を
抱える様々な国にその技術を供与しています。
北九州市は公害の街から環境の街へと問題を克服する過程で多くのギフトを受
け取って成長を遂げてきました。
そして今は、そのギフトを活かして世界の環境首都を目指した街づくりが行わ
れています。
問題を乗り越えると、才能が開花するのですね。
参考文献:環境行政のあゆみ(北九州市)
北九州ってどんなまち!(北九州青年会議所)
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