この後輩が到着したのは、約束の時間の3分前。Aさんは、「何してたんだ、こんなぎりぎりに来て!」とイラッとした表情を浮かべ「さあ、行くぞ!」とさっさと歩き始めました。ところがBさんは同じ状況の時、「お、来たな。」と普段と変わりない様子で、後輩に話しかけ、「じゃあ、行こうか?」と声をかけて二人で歩きはじめたのです。
「お客さまを訪問するために、後輩と待ち合わせしている。」
「後輩は約束の時間の3分前に当直した。」
この2つの客観的事実は変わらないのにAさんは「イラッ」とし、Bさんは普段と変わらないと、AさんとBさんでは全く違う態度をとりました。このように、客観的事実は同じでも、その状況に対して「どう感じるか」は人によって違います。
◆「イラッ」の下には、「ルール」(観念)がある
上記の話を例にとります。
後輩にイラッとしたAさんは、「目上の人との待ち合わせの際には、目上の人を待たせてはいけない。」「待ち合わせの時間の10分前には現場についておくべきだ。」というルールを自分に課していました。
一方、Bさんは、「約束した時間に遅れないようにしないといけない」とは思っていましたが、それ以外は特に強い思いは持っていませんでした。
このように、AさんとBさんでは、「待ち合わせ」に関する「守るべきルール」が違っていたのです。そのためAさん、後輩が3分前に来たという事実に対して、「目上の自分より後から来るなんて、どういうことだ!自分を軽く見ているのか?」と感じたり、「10分前には到着するのは、社会人として当たり前のことじゃないか!こんなぎりぎりの時間にやってくるなんて、何を考えているんだ!」と感じたりしたんですね。そのように感じたことが土台となっているので「何なんだ!なってない!」という後輩に対する怒りがわきあがってきたのです。
わたしたちの心の働きの一つに、「『自分のルール(観念)』というフィルターをかけて、他人の行動を判断する」というものがあります。この働きあるため、Aさんは後輩への怒り
を感じたのです。
◆怒りを手放すヒントは<「ルール」は一つだけではないという発想>
自分にとって「こうあるべき」「これが正しい」という「ルール(観念)」は、誰しもが持っているものです。この「ルール(観念)」を持っていることは悪いことではありません。でも、この「ルール(観念)」を優先するあまり、自分がイライラしてしまったり、苦しくなったりするのは、おススメできません。なぜなら、こういった「ルール(観念)」は、自分を苦しめるためでなく、自分を楽にしたり、自分を守ったりするためのものだからです。
最近イライラすることが多い気がする。
似たような場面に遭遇するとイライラしてしまう。
そんなことを感じたときには、一度、自分の「ルール(観念)」をチェックしてみるときなのかもしれません。
「そんなの当たり前だろう?」「それくらいできて当然だろう?」と思う代わりに、
どんなふうに思ったから、腹が立ったのか?
相手のどんな態度にイラッっとしたのか?
と考えてみると、自分の「ルール(観念)」に気づくことができます。
そして、一度、
自分のルール(観念)以外の考え方を受け入れているだろうか?と問いかけてみてください。
イライラしたり、怒りが湧き上がってくるときには、自分のルール(観念)以外を認められなくなっていることがよくあります。ですから、そうなっていないかどうか、まずチェックしてみるんですね。
そして、もし、他の考え方や見方を認めていないなと気づいたら、自分のルール(観念)を緩めて「自分はこう思うが違うやり方もあっていい」と他のやり方を受け入れやすい心理状態を作っていくのです。
「他のやり方、考え方、見方もある」と感じられるようになると、自分と違うやり方をする人に対して「怒り」を感じる度合いが小さくなっていき、イライラすることが減っていきます。
◆不要な「怒り」を手放すことは、「他者を尊重する」こと
組織の一員として働く以上、他者との関係を無視して進んでいくことはできません。
自分のやり方や考え方を持つことは大切ですが、相手のやり方や考え方を認められないと、イライラしてしまったり、怒りをぶつけてしまうことになってしまいます。
自分とは違うやり方や考え方も認めようとすることは、自分の怒りを手放すだけでなく、他者を尊重してよりよい関係性を築く「はじめの一歩」でもあるのです。
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