カウンセリングで、とあるお客様から伺ったことがあります。
新入社員さんに、「この書類を見ておいて」と言ったそうです。
その種類には、お客様から電話がかかってきたときの対応方法や、お客様がいらっしゃったときの対応方法が書かれていたそうです。そして、お客様がいらっしゃったとき、その新入社員さんは、ただじっと座っていて全く対応しなかったので、後で「書類見ておいてって言ったよね?」と伝えると・・・「はい。書類は見ました」とこたえます。
その次に「じゃあ、どうしてお客様に対応しなかったの?」と聞くと、「そう言われなかったので」とこたえたと言うことです。
確かに書類に書いてあるように、お客様に対応しなさいねとは言わなかったそうですが、「そこまで、説明しなきゃいけないの?」と思ったそうです。
このようなお話は、「最近の若者は・・・」ということで、いつの時代にも出てくることなのかもしれませんが、最近の若者だけの話しとは限らないのかもしれません。
もちろん、「もう少し、自分で考えて行動してよ」という気持ちはわかります。
私自身も、そう思ったことは、多々あります。
でも、私達は自分がわかっていることは、他の人もわかっているだろうと思ってしまうところがあるようです。
自分にとっての常識や当たり前は、他の人にとっても常識や当たり前なのだと、思い込んでしまっているのです。
そうすると、伝えたいことが、うまく伝わっていないということが起こり、「言ったでしょ」「言われてませんよ」という言い合いに発展してしまうことがあります。
もちろん職場だけでなく、家庭内や友人関係でも、同じようなことが起こりますが、職場では多くの人と関わることになりますから、自分の常識や当たり前と、かけ離れた人も多数存在し得るのです。
相手のためだと思って、事細かに説明するとなると、腹が立つことも多くなりますので、「自分自身が気分よくいるために、説明する」と思ってみると、多少のジェネレーションギャップは乗り越えられるのかもしれません。
「これくらい自分で考えてよ」というのは、確かに社会常識的な範囲なのかもしれませんが、見方を変えれば、「これくらいの説明で理解してほしいな」というニーズでもあります。
ニーズなので、相手に叶えてもらう必要があるので、お願い事をしていることになります。
どうして上司が部下に、先輩が後輩にお願い事をしなきゃいけないのだと思われるかもしれませんが、腹を立てて気分が悪くならないために、自分自身のために、相手が理解できるように説明してみるといいのかもしれません。
私達人間には、それぞれ価値観というものがあり、それと同じように、常識というものを持っています。
それは、家族など同じ環境で育った人たちとは、共有する部分は多いのですが、違う環境で育った人にとっては、非常識となることが多々あるのです。
「あたりまえだろう」と思うことが、他の人にとっては、当たり前でないことが多々ああるので、「それぞれが違う価値観や常識を持っているものである」ということを、理解し認識しておくことは、人と関わっていくうえで、とても大切なことなのです。
それぞれの価値観や常識が違っても、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているということではありません。
ただ「違う」ということなのです。
違う国の人なら、価値観や常識が違うことは理解し、許容する範囲が大きくなる私達も、同じ言葉を話す同じ国の人に対しては、ついつい自分の価値観や常識を押し付けてしまいがちです。
育った地域や、世代が違えば、また性別が違えば、その常識や価値観もまた違うのです。
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