修正のつかないものを作りたい。
たとえほんの少しの傷でも許せない。
そんな出来栄えや結果へのこだわりもあれば、
自分の手でやりとげたい。
納得のいくやり方でやりたい、といった「やり方」への「こだわり」もあります。
さらに、いっしょに仕事をする人の「態度」への「こだわり」があれば、
「指示の出し方」や「返事の仕方」、「あいさつの仕方」といったコミュニケーションのとり方も気になるでしょう。
どれも「正しい」信念で、その「こだわり」そのものに問題はなさそうです。ところが、なぜか職場では評価されないばかりか、逆に「問題視」されてしまい、人間関係のストレスをため込むケースも少なくないようです。
なぜ?
ちゃんとやっているのにどうして怒られるの?
一所懸命仕事をしているのに、なぜ評価されないのだろう?
組織の中で仕事をしていると、こうした一見理不尽なことが意外によく起こります。
こんなときは、自分の「こだわり」と組織の方向性や優先課題が微妙にズレてはいないか、見直す必要がありそうです。
あなたの「こだわり」と上司の「こだわり」にズレがありませんか?
あなたの「こだわり」と組織の方向性やヴィジョンに食い違いはありませんか?
どんなに素晴らしい仕事をしても、会社が求めるものと食い違っていると残念ながら評価されません。どんなに正しい言い分も、言う場所と言う相手、さらに言い方が的を射ていないと組織の中では響きません。
こだわること自体が問題ではないと思うのです。
特に、その「こだわり」が、どこかの誰かを幸せにするものであるならば。
でも、自分の「こだわり」にこだわりすぎてしまうと、他の人や組織の「こだわり」とぶつかり、周りの協力が得られにくくなってしまい、結局、自分が本当にしたかったことができなくなってしまう、というジレンマがあります。
そして、それはもったいない、と私は思うのです。
自分が本当に譲れない「こだわり」もあれば、自分の「本当」を生きるために、小さなプライドを手放す勇気をもつことが大切な場面があることを、ビジネスの現場は教えてくれます。
もし、あなたが自分の「こだわり」と組織の「こだわり」とのはざまで能力を発揮するチャンスをもらえずにいるとしたら、あなたの「こだわり」を手放すことを考えてみませんか。
「こだわり」の陰には、痛みとコンプレックスがあります。
自分が完璧ならば、大事な人を助けられたのではないか。
自分が(親を)助けられるほど力があればよかったのではないか。
もっと強ければ助けられる人がいたのではないか。
もっと優しければ愛されたのではないか。
そして、
もっと力のある人に守られたかった。
もっと優しくしてもらいたかった。
もっと理解してほしかった。
そんな悲しみがひたひたと横たわっているものです。
だからこそ、自分の在り方に、やり方に、「こだわり」たい。
「こだわり」を手放すのが難しいのは、そんな怒りや悲しみといった痛みを超えなければならないから。
自分の心を痛みから守るより、大きな目的やヴィジョンを大事にするために、
あなたを守れなかった人の弱さを、
あなたを傷つけてしまった人の弱さを、
許してみませんか。
そして、
あなたが誰かを心底守りたかったことを、
助けたかったことを、
そのためにベストを尽くしたことを認めてみませんか。
自分のこれまでの人生を徹底的に肯定してみると、
それでもこだわりたいことと、
手放しててもいい「こだわり」が見えてきます。
あなたにとって本当に大事なことが見えたなら、
もう一段高いところから、
もうひとまわり大きなハートで自分のまわりの人たちを愛せる自分と出会えそうです。
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