敵が成功の鍵を握る~「シャドウ」は成長の道しるべ~

少しでもビジネスの世界で仕事をしてきた人ならば、所属する組織の内外に「敵」の存在を意識されたことがあるでしょう。明らかに利害がぶつかる「敵」もいれば、ゴールは同じなのに競争関係におかれて「敵」視せざるを得ないケースもあります。本来ならぶつかる必要もないはずなのに、「やり方」や価値観の違いが目障りな「敵」を作り出すことは数限りなくあります。ところが、こうした自分にとって不愉快で厄介な「敵」のような存在が、あなたの仕事の成功に必要な鍵を握っていることもまた珍しくありません。そこまで直接的な影響はなくても、使いにくい部下を遠ざけたかと思えば、次に採用した部下も似たような問題を起こすといったパターンの繰り返しを経験したリーダーは少なくないと思います。心理学では、この「敵」のような存在を「シャドウ(影)」と呼びます。さしずめ、自分の「心の影」と言ったところでしょうか。自分が「自分だ」と思いたくない性質を、同様な性質を持っている相手に映し出して(自分の代わりに)相手を嫌うのだ、と考えます。なんだかイヤな話ですよね。

「シャドウ」は、あなたがこうはなりたくないと思っているような人であることが多いです。

とても威厳があって口答えできないほど強いお父さんを怖いと思って育った人にしてみれば、人を怖がらせたくないという想いが強い分、自分の「強さ」を表現することに抵抗を感じて、ことさらに周りの人の意見を尊重してしまい、自分が主張すべきときも遠慮してしまうなんてことがあるかもしれません。こんな人から見れば、強引に自分の主張を押し通そうとする同僚などは不愉快千万ですが、往々にしてそういうタイプとポストを争わなければならなかったり、協力を頼まなければならない立場におかれるもの。相見えるたびに神経が逆撫でされるような気持ちになりますね。

でも、実は、このように目の前に「シャドウ」が現れたときこそ、あなたの心の器を大きくするチャンスだとも言えます。

上の例で言えば、つい「敵(シャドウ)」に対する反発心や嫌悪感から「敵」と違う資質、人との協調性や調和、調整力をアピールしたくなりますが、ここは、むしろこれまで強いお父さんに対する心の痛みから封印してきた自分の「強さ」を取り戻すことを求められていると考えるべきところです。一旦、嫌悪感を棚に上げて、「シャドウ」の押しの強さのエッセンスである意思や信念を「主張」する力を自分のものとして取り込んでみましょう。それは、人の話を聞かないということではありません。それまでの強みであった人の声を「聴く」力に加えて、必要とあらば、信念を「主張」し説得する力を持つということで、自分の力量を上げることに他なりません。

逆に親の失敗や挫折を見て、子供心に傷つき恥ずかしいと感じた経験をもつと、自分の弱さや失敗は受け容れづらいかもしれません。そのためご本人は弱さを自分に許さずストイックに努力するのですが、不思議と周りの人が失敗したり、病気になったりということが続くことがあります。このような場合、ご本人にとっての「シャドウ」、つまり弱さや失敗感を自分のものとして受け止めて許し、弱い人、失敗者の目でものを見ることができるようになることで、もう一回り大きな人間に成長することを求められていると考えます。

私たちが人やその言動に嫌悪感や不快感をもつ背景には、同じタイプの人やその言動に傷ついた過去があります。嫌悪感や不快感は、二度と同じことで傷つかないための警戒警報だともいえます。

ところが、この嫌悪感や不快感があるためにこのタイプの人のもつ強み、その視点や才能を、上手に活かすことも自分の中にある似た才能を伸ばすこともできないとしたら、それはとても残念なことです。

あなたのまだ開花していない才能は、あなたが「嫌いだ」と思い込んで捨てた在り方、視点、考え方の中にあるかもしれない。「嫌い」な人のようになれ、と言っているのではありません。あなたはご自分の傷ついた経験からいったんは「ダメ」だと投げたかもしれませんが、そのままの形ではなく、そのエッセンスを抽出して、自分なりに表現しなおしたならば、今の行き詰まりを打開する手だてになりませんか。上の例をひくならば、「強引さ」ではなく「芯の通った主張」として、「弱さ」ではなく「思いやり」として発揮する道はありませんか。

やるだけのことをやった後、次の伸びしろは、自分が「嫌う」領域にあります。「イヤなヤツ(=シャドウ)」は、あなたがまだ使い切れていない才能を見せてくれているという意味で、あなたの次の成功の鍵を握っていると言えるのではないでしょうか。

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