このように「気持ちを聞かない」という問題が、経営陣と管理職との間、管理職と担任の先生との間、そして担任の先生と問題行動を起こす生徒との間に、とまるで入れ子のように何重にも起きることを指して、「問題が構造化している」もしくは、「問題がフラクタル(相似形)になっている」と言います。
因果論ではない。この上の例でいえば、「弱い立場のものの気持ちをきかない」という問題がどうして生じたのかはわかりません。あちこちで同じことをしているね、とは言えますが、鶏が先か、卵が先か、分かりにくいからです。このようなときは、問題の原因を特定することや悪者探しにエネルギーを費やすより、この「場」に「弱い立場のものの気持ちをきかない」という傾向がある、と考えた方が介入しやすく、問題を解決に導きやすいようです。
リーダーやファシリテーターに対する攻撃は、「助け」を求めるサイン。組織が何らかの問題を抱えているとき、大概はそれが公の場で議論される前に、メンバーの個人的な関係性や取引先との関係性などの中で似たような問題が生じていることが多いものです。その段階で、この「場」にある問題として認識できて取り組めればいいのですが、多くの場合は、「個人の問題だよね」と見逃されます。でも、「リーダーやファシリテーターへの攻撃」という状況が起きたときには、似たような問題がすでに組織のあちこちで起きていることが多いので、自分を攻撃する人の個別の問題として片付けるのではなく、「場」にある問題が「助け」を求めていると考えてみるといいでしょう。攻撃されれば、リーダーとはいえ傷つきますが、攻撃する相手が自分の中の何に対して「変わる」ことを求めているのか、その気持ちをよく聞くことでその「場」にある問題の本質に迫ることができます。
再度、上の例を使って言うならば、管理職がAさんの自分たちを見る攻撃的な視線や、批判的な言動を流さずに、その怒りの気持ちをよく聞いてみれば、その感情の下に「もっと子供の気持ちを聞いてあげてほしい」「もっとB先生の言い分を聞いてあげてほしい」という解決策がすでにあることがわかったはずです。
リーダーやファシリテーターが、攻撃する人が自分は何に怒っているのか十分に理解できるように聞く心のオープンさを持てると、「場」が抱える本当の問題とともにその解決策の一端が見えてきます。
リーダーやファシリテーターを攻撃する人の中に眠るリーダーシップを育てる。攻撃的になる人には、その「場」にあるけれど、あまり明らかではない問題に気づいていて、自覚していないですが解決の道を知っていることが多いです。これを自覚できて、十分に表現できるならば組織を新しいステージに引き上げるリーダーになれるのですが、「攻撃」という表現方法しか持たないためにリーダーシップを発揮できずにいます。自分に対して攻撃的な部下に対しては、その人の中に眠るリーダーシップのタネを育てるつもりで関わると、組織はもう一段成長できるのではないでしょうか。
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