今回ご紹介したいのは、「見る」ということ。「そんなの当たり前じゃないか。いつだって見てるよ」という声が聞こえてきそうですが、「本当に肝心なところで『見て』いますか?」とあえて問題提起させてください。
発達心理学の考え方の中に「ラポロ―チメントの危機(re-approachment)」と呼ぶものがあります。ちょうど歩き始めたばかりの頃、赤ちゃんが好奇心にかられてお母さんから離れて遊びに行くのですが、ふと不安になって振り返り、お母さんが自分を見ていてくれるかどうかを確認する瞬間があります。その時、お母さんと目が合って、お母さんの笑顔を確認できれば、赤ちゃんは冒険の旅を続けられるのですが、お母さんがそっぽを向いていたりすると不安に耐えられずにお母さんのもとに戻ってくる子が多いようです。さらに、戻ってきた赤ちゃんをお母さんが何らかの理由(食事の支度で忙しいなど)で、(一時的にせよ)拒むと赤ちゃんはなかなかお母さんのもとから離れなくなる、と言われています。いったん離れた子供が、再度母親に近づくところからre-approachment(ラプローチメント、再度近づく)時の危機、と呼びます。
「危機」というくらいですから、この瞬間が、子育てにとって「キケン」でもあり「チャンス」にもなる分岐点であることを示唆しています。お母さんの元をなかなか離れられない子になるか、一人でも(お母さんに見守られているという安心感を得て)自分の好奇心に従って行動できる子になるか。
いい大人である私たちにしても、似た経験をたくさんしているのではないでしょうか。
新しい会社に入った、新しいプロジェクトを始めることになった、新しい土地に配属されたなど、環境要因に変化があり、心機一転、新しい「場」で力を発揮しなければならない時、最初は無我夢中でできることを見つけて周囲になじもうと取り組むのですが、少し慣れてきたとき、ふと、自分のしていることが果たして期待に見合っているのか、受け容れてもらえているのか、気にかかるものです。さりげなく上司の目を伺い、その言葉尻や、何気ない仕草、ふるまいの中で自分はどう見られているのか探ろうとします。そんな時、自分の仕事を見ていてくれる上司の眼差しを感じられると大きな勇気をもらえるものです。
もう何年も前のことですが、キャノン株式会社の複合機の組み立て工場で働く女性がパネラーとして参加した討論会を見ました。彼女は、膨大な数の部品と工程がある複合機を一人で短時間に組み上げることができる、社内で「マイスター」と呼ばれる作業員でした。マニュアルの量も半端ではなく、これが全部頭と身体に入っているのかとその仕事ぶりをビデオで見て、会場が息をのむのが感じられるくらいでした。「これは、大変じゃないですか。どんどん製品が高機能化するのに合わせて覚えるものも増えますよね」とファシリテーターがその彼女に水を向けたとき、とっさに彼女から出てきたのが、「ええ。でも、見てくれていると思っています」の一言でした。
「見てもらっている」という信頼が、前に、前に、と進む人の支えになるのです。
それには、部下が「振り返った」ときに「見ているよ」と言語で、あるいは非言語で伝えることが大事。肝心要の瞬間です。
新入社員が配属されてきた、人事異動でメンバーが入れ替わったなど、動きがあれば当然のように目を配る人も、どうやら環境に慣れてきたらしいと思えば任せても大丈夫と安心しがちです。でも、自発性、挑戦する心は、そこからの「眼差し」が作るもの。順調に船出したかに見える人の、ひそかな「不安」をしっかりと受けとめる「目」を持てるといいですね。
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