部下や後輩の立場から見た上司というのは、時として父親との関係を映し出すと言われます。例えば、厳格で高圧的な父親に対して抵抗感を持っていた部下にとって、上司であるあなたとの時間は、ただただ自分らしさをなくしてしまう時間なのかもしれません。
また、そんな父親に対して反感をいだいていた部下ならば、事あるごとにあなたに食って掛かっては、反抗的な態度を繰り返すかもしれません。
部下に信頼される上司になる、というのは実はとても難しいテーマなのです。
それでも世間には「あんな上司ならいいのに」となぜか部下から好かれたり、頼りにされる上司というのもいます。
そんな理想的な上司と言われる人たちに共通するのは、「人を動かす言葉のチカラ」を持っている、という事。今日は、その「上司力」ともいえる部下を動かす言葉のチカラについて、かつて私が経験したエピソードから考えてみたいと思います。
「どうしてあの人の言葉は心に沁みるんだろう」
と、不思議に思われるほど、人を動かすのがうまい人がいます。いっぽうで、「何故かこの人の言うことは聞きたくない」と思わせるような人もいます。人を動かす言葉と、人を滞らせる言葉。
その違いはどこから生まれるのでしょうか?
私がまだ、民間企業でひとつの事業所を任されていたマネージャーの頃。ある日突然、何の内示も連絡も、また理由の説明も無いままマネージャー職を解かれたことがあります。
その時の胸に広がる鈍い鉛のような感覚は今も忘れられないほどですが、この人生最悪の出来事のひとつこそ、私に人を動かすチカラを教えてくれたのでした。
あの日、私に訪れた突然の降格人事。
それはまさに青天の霹靂、あまりのショックに退職を考えた私は、人事発表の翌日、辞表をポケットに上司の部屋を訪れていました。部屋に通された私は、どう退職を切り出そうか考えあぐねたまま、ただ黙り込んでいるしかありませんでした。
その時、その上司は静かに、こう話を切り出しました。
「その顔を鏡で見たか?」
当時の私は、大きなプロジェクトをいくつも抱え、毎晩会社に寝泊りしているような状況でしたから、きっと寝不足のひどい顔をしていたのでしょう。
そして続いて彼は言います。
「今のお前は、身体だけじゃなく、精神的にも追い詰められている。長い人生、時に後ろに下がることも必要な時がある。仕事に命をかけなきゃいけない時もあるかもしれない。でもそれは今じゃない。」
それは説得でも、説教でもない、ただただ私を心配してくれている、心からの言葉でした。
しばらくして、私は黙ったまま、上司の部屋を後にしました。辞表をポケットに忍ばせたまま。
その時、私にとって人生最大の屈辱的出来事は、人生最大の感動に姿を変えたのです。
あの時、もし上司が私を説得しようとロジカルな理由を並べたとしたら、私は間違いなくその場で辞表を提出して会社を去る決断をしたでしょう。
私が会社に残る決断をしたのは、心がそう感じたから、動いたから。
人を動かす言葉、というのは、理屈が通っている、とか正しいか、ではなくどれだけ、「相手の心に届く言葉」であるかなのです。心に届く言葉には、伝える側の思いがこめられています。そこにこめられた思いに私たちの心は共鳴する、響く。
だから伝わる、行動する。
では、どうすれば、人の心に響く言葉をかけることができるのでしょうか?
その秘訣のひとつは、「見る」ということなのではないかと思うのです。
言葉を掛けるという話をしているのに、なぜ「見る」なのか。疑問に思われるかもしれませんが、ここでいう「見る」というのは、ただ単にものを見る、ということではなく、注意深く観察する「注視する」ということ。
たとえば、母親は、言葉を話せない赤ん坊のしぐさ、表情、時として身体から発する熱までを感じ取って我が子の変化を読み取ります。それは、私たち人間がまだ、サルの時代から持ち合わせていた動物的な感覚や感性までを総動員して、赤ん坊の体調だけでなく感情までも「見ている」かのよう。
では、職場においてはどうでしょう?
「あの上司がキライ」「あいつはムカつく」と、私たちが感じる時影響を受けるものは、理性的とはいい難い感情的なものであったりします。
ビジネスというと、ドライで論理的に割り切ったコミュニケーションが優先されてしまうように考えがちですが、私たちの行動に大きな影響を与えているものは私たちの心であり、感情。
もし今、あなたが部下、同僚、そして上司までも動かそうとするのなら、まずは相手のことを「よく見る」ということから始めてみましょう。
私のかつての上司がそうであったように、あなたの部下の表情や、報告をするときの仕草、声など、彼らが発するものに注意深く意識を向けてみましょう。彼らは今、何を考え、何を感じているのでしょうか?
彼らを見つめ、彼らの 感情にまで関心を持つことができたあなたが発する言葉には、きっと彼らを動かすチカラが宿っているのではないでしょうか。
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