「これだけ言いたいことも言わずに、我慢したんだから、これぐらいの給与をもらって当たり前」
「これだけ自分のやりたい事を我慢して、会社に尽くしたのに、これっぽっちの給与なんてやってられない」
仕事を終えたサラリーマン達が集う居酒屋で、よく耳にする言葉でもあります。
気持ちはよくわかります。
「大変な苦労をしたんだから、それに見合うぐらいの収入が欲しい」そう思うのが人間かもしれないなと思います。
実際私自信も、昔はよく思っていました。
どうも私たちは、「仕事をする=我慢をする」になっている事が多いみたいです。
確かに、仕事をするということは、我慢をすることも多いのかもしれません。
でも当然ですが、会社はたくさん我慢した人に、たくさん給与を支払う訳ではありません。
そんな事は、誰もがわかっていることです。
ではどうして、私たちは、仕事=我慢で、我慢したからそれに見合うだけの収入が欲しいと思うのでしょうか?
この思いのルーツは、子供時代にさかのぼります。
私たちが子供の頃、親から褒めてもらう為に、親から認めてもらう為にすることは、「我慢」です。
本当は走り回りたいけど、お母さんに「大人しくしておきなさい」と言われ、我慢して大人しくしていたら、「我慢できて偉かったね」なんて言われます。
泣きたい時に、「泣くな!」と言われて、泣きたい気持ちをグッと我慢したら、親から言われます。「我慢できて偉かったな」男性の場合は、「それでこそ男だ」なんておまけの言葉がつくかもしれません。
そうやって、我慢した分だけ、親から褒められたり、認められたりする経験をします。
もちろん、我慢できなかった時は、怒られるのです。
子供にとって、親から褒めてもらう、認めてもらうというのは、親から愛されていると感じることができることです。
そして子供は、親から愛されることが、何よりも欲しいものです。
こうやって私たちは、欲しいものを得る為に我慢するということを、学んできたようです。
そして、ビジネスの世界でも、同じ事をしているのかもしれません。
我慢をすると、人間は恨みつらみ、怒りなどを感じます。
それらの感情は、感じている本人があまり気分の良いものではありません。
もちろん、恨みつらみ、怒りが会社で爆発してしまったりすると、大変なことになってしまいますから、人は更に我慢をして、恨みつらみ、怒りが出ないようにします。
我慢に我慢を重ねていくのです。
我慢して欲しいものを手に入れる。我慢することで成長していくというのは、子供時代のやり方でもありますが、大人になった今、仕事にこのやり方を使っていると、仕事=我慢が定着してしまいます。
そうなってしまうことで、仕事に対して不満や怒りを持ってしまうことにもなりますので、仕事=我慢というやり方を、変更していく必要があるのかもしれません。
仕事とは、働くことでもありますが、「働く」と言うのは、「端が楽になること」とも言われたりします。
誰かを楽にすることで、感謝されます。
感謝の気持ちがお金となり、収入となって、返ってくると考えてみると、仕事にも少し面白みが出てくるのではないでしょうか。
何か便利なものを作ることで、周りの人は楽になり、その商品を購入して楽になったという感謝の気持ちをお金という形で支払ってくれます。
周りの人が、少しでも楽に仕事ができるようにサポートすることも、「端が楽」になることかもしれませんし、「楽」という形でなくても、幸せになることができるのも、働くことの意味ではないかと思います。
働くことで、家族を幸せにする。働くことで、自分が幸せになる。
そうやって、仕事に感謝することができたとき、仕事に対しての恨みつらみ、怒りがなくなり、気分がどんどんよくなっていくのです。
我慢は人を成長させてもくれますが、我慢ばかりという状況になってしまうことで、仕事に対して、不満が出てきてしまいます。
我慢して、何かを手に入れるのではなく、誰かに何かを与えること(楽や幸せを与える)ことで、欲しかったものが手に入るのであれば、気分も良いですし、不満が出てこなくなります。
「会社では我慢ばかり」と感じておられるのでしたら、「どれだけの人を楽にしてあげられているだろう」と考えてみると、気分が切り替わるのかもしれません。
「我慢」という昔のやり方を手放して、「楽や幸せを与える」というやり方にシフトチェンジしてみることで、仕事に対する気持ちが大きく変わってきますので、行き詰ってしまったときは、お試しいただければと思います。
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