人が攻撃的になっているときというのは、多くの場合、怖れを感じています。それは、明白な脅威に対する防衛である場合もありますが、むしろ、何だかわけのわからない不安感からくる、焦れるような怖れが続くとき、「何とかしてくれそうな」リーダー、会社ならば社長や部門長、学校ならば教師など、社会的なランクのある人にそのいらいらをぶつけてしまいがちです。どうも、こうした訳のわからない不安感に長期間さらされることの方が、明らかに大変な状況に直面するよりも苦手である、という面が人にはあるようです。なので、これという困難な状況があるわけでもないのに、社内の空気がピリピリしている、ちょっとしたことで部下が上司を攻撃する、などの逸脱行為を目にするようになったら、それが逸脱行為をした者の個人的事情が背景にあったとしても、会社全体のモチベーションを保つ意味で、状況を分析し、不安感のもとを把握し、速やかに介入するといいでしょう。
「秩序」や「規則」を守ることが「安心感」をうむ
部下が攻撃的な言動をくりかえしたからといって、本当の原因が会社にあるかどうかはわかりません。が、それを黙殺し、ただお手上げ状態で許していると、逸脱行為が「見逃される」というメッセージを他の従業員に与えることになります。これは、単に、「逸脱しても大丈夫なのだ」というにとどまらず、「いいことをしても見てもらえない」のではないか、と不安感になるようです。この「ちゃんと見てもらえないかも」という不安感が続くと、攻撃性が高まることが知られています。
心理学ではこれを、空家の窓ガラスが割れたままになっていたり、落書きが多い地区は凶悪犯罪も多いことから、「ブロークンウィンドウズ現象」と言い、地道な、倫理秩序を守る運動が犯罪件数を下げ、街の落ち着きを取り戻すのに効果的であることが実証されています。
部下の中に攻撃的な態度がみられるようになったときは、職場のモチベーションを維持するためにも、小さな不安の芽を摘み取るつもりで、再度、規則や秩序を守ることを重視する姿勢をリーダーがとることが望まれます。そして、職場にとって、小さくともプラスの言動があればそれを拾って評価、承認し、マイナスの言動には注意を促し排除につとめる、という細やかで地道なコミュニケーションを徹底したいところです。誰しも、モラルの高い状態は気持ちがいいと感じるものです。相手の「よくありたい」気持ちを信頼して、意見として有用なものと、組織人として戒めるべき行為を分けて受けとめ、何が不適切なのか伝えていく必要がありそうです。
「ランクを引き受ける」ということ
会社などの組織には、上下関係がつきものです。誰が最終責任を負うかにより、その組織におけるポジションが決まります。こうしたポジションも、「役割」の一つです。人格的な優劣を決めるものではありません。が、組織の中でこの上下関係が守られないと、「役割」が果たされていないと受けとめられて、前段にある「不安感」のタネ(「ちゃんと上司としての「役割」を果たしてもらえないのではないか」)になることがあります。
リーダーが部下に対して共感的であればあるほど、かえって部下が攻撃的になるなどの逸脱行為によりグループのまとまりを欠く例を見ます。昨今、部下の声に耳を傾け、共感的に話を聴くことの大切さが強調されるきらいがあります。実際、共感してもらえると「安心」するものなので、部下の気持ちを受けとめることのできるリーダーのもとでは、部下も仕事に集中できそうです。であるにもかかわらず、あまり同じ立ち位置で共感されてもかえって「頼りない」と部下が感じてしまうのでしょうか。あくまでも「上司」の立場を忘れないことが部下の「安心感」を担保する、という面もありそうです。
こうした共感力と秩序を守る番人のような厳しさの両面を引き受けたとき、その「役割」相応の「ランク」を「引き受けた」と言えるのかもしれません。
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