そしていざスタートしてみて構想や計画の通りに事が運べば何の問題もなく成功を手中にできるのですが、所詮計画は計画であって、その通りに進まないことがとても多いのではないかと思います。
ビジネスの場面で言えば、為替変動やライバルの抵抗、法規制の変更や天変地異などの外部要因、組織内部の人間関係や他部門との連携不足といった内部要因など、そこにはうまくいかない要因がたくさん潜んでいます。
それらのうち、さほど大きな影響がないものであれば、計画を修正し、それを実行していくいわゆるPDCA(Plan Do Check Action)サイクルを回して対処していくことになるのですが、例えば、資金の枯渇、製品化の失敗など計画自体の根幹を揺るがすような大きな問題の場合には、PDCAサイクルを回しても対処することが不可能なケースが出てきます。
そんなとき、私たちはその目的を諦めて中止するのか、あるいは継続するのか大きな選択を迫られることになります。
中止するとすれば、今までの投資や苦労が水の泡になってしまうという思いや失敗に終わる悔しさを感じます。このまま継続するとなると、泥沼化して苦しい状況になるのではないかと怖くなってしまいます。果たしてどうするのがベストなのかと頭を悩ませるところですね。
そして、選択を先延ばしにしているうちに時間だけが過ぎ去って泥沼にはまってしまうというケースや、早々に見切りをつけて失敗として片付けてしまうケースもあります。
見切りをつける場合、傷口はそれ以上広がらないので一見よい選択のように思えるのですが、目的を達成するという観点からは必ずしもよい選択とは限りません。なぜならば、そもそもある目的を達成するために始めた事なのに、目的が達成されていないからです。
では、このような場合、どのような選択をすればいいのでしょうか?
このような状況下でより的確な選択をするためには、「執着を手放す事」と「怖れない事」が必要になってきます。
執着とは、自分への自己攻撃に端を発して、その自己攻撃している部分を打ち消したり感じないようにするために、その状況にしがみつく事です。
例えば、自分は不十分だと自己攻撃していたとします。そうすると、その不十分さを否定するために「あなたは十分だよ」と感じる状況を作り出そうとします。何かに失敗してしまったら、また自分が不十分だということを感じざるをえないので、失敗を認めないようにその状況に執着します。
執着は、中止か継続かの選択を行うときには、継続の選択をする方向に偏らせてしまいます。
怖れは、過去に経験した出来事や学習した悪い状況が未来に起こるのではないかと感じてそれを起こさないために現れる防衛反応です。未来の事ですから経験した、または学習した悪い状況に至る同じプロセスを辿り、同じ状況に行き着くとは限らないのですが、そうなるに違いないと思ってしまうのです。
怖れがあると、悪い状況になることばかりが頭をよぎります。
怖れは、中止か継続かの選択を行うときには、中止の選択をする方向に偏らせてしまいます。
では、執着を手放したり怖れを取り除くにはどのようにすればいいのでしょうか?
執着を手放すには、自己攻撃を止めることです。自己攻撃を止めるには、自分の本当の価値を自分自身で認めることです。私たちは、一般的に自分を過小評価しており、自分の本当の価値を見ていない場合がとても多いのです。例えば、他人と自分を比べるとき、私たちは自分のできていない部分と人のできている部分を比べます。あるいは、こうありたい自分とそうできていない自分を比べます。そして自分は駄目だと思い込んで、自己攻撃をするのです。私たちは専らその部分にのみ着目し、囚われて自分の本当の価値が見えなくなっているのです。
私には、どんな価値があるでしょうか?どんな良いところがあるでしょうか?
自分自身で考えてみたり、誰かに尋ねてみたりしてください。そして、勇気をもってそれを肯定する(受け取る)ことです。
怖れを取り除くには、怖れと向き合ってその正体を見極めることです。
怖れは、それから逃げれば逃げるほど大きく膨らみます。
しかし、逃げずに向き合うとその正体が明らかになり、思っていたほどでも無いことがよく分かります。そして、怖れていたことが起こる可能性は極めて低いことが理解できるようになります。
まるで私たちが実際にはネズミに追いかけられているのに、あたかも象に追いかけられているように感じているようなものです。
このように、選択を偏らせる「執着」と「怖れ」を自分の心の中から排除することにより、自然体に近い形でより的確な状況判断と選択ができるようになります。
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