今年は、日本電産という京都の会社の株主総会に行ってきました。創業者である永守重信社長のお話を直接聞いてみたい、と思ったからです。
日本電産という会社は、一般の消費者にはあまり馴染みがないかもしれません。でも、PCに入っているHDDを回すモーターでは圧倒的な世界シェアを誇る、日本を代表する会社の一つです。永守社長は、エンジニアとしてゼロからスタートして、6000億円の売上規模のある世界的な企業に育てあげた立志伝の人物です。新聞や雑誌のインタビュー記事も多いですし、ブログも書かれているので、会社は知らないけれど、永守社長の話を読んだことがある、と言う方もおられるかもしれません。
2008年の秋のリーマンショックは、多くの株が半値になってしまったという以上に、実需が落ち込むスピードがとても速かったことが何よりショッキングでした。金融の問題が実際の景気に跳ね返るのにあまり時間がかからなかったのです。だから、2008年の年末、2009年の1-3月期は、どの会社も受注が全く期待できない、というお先真っ暗状態にいました。日本電産も受注激減という点では例外ではありませんでした。でも、この1年で業績は急回復し、昨年度は過去最高益を叩き出したのです。この会社のモーターは、IT関連やAV機器のような買い換え需要を作りやすい商品に使われているという強みはあるものの、最高益はやっぱりすごい。どうしてそんなことができたのだろう?
永守社長は、「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」を企業精神に掲げていますが、「危機」にあっては、この「すぐやる」が大事だった、と振り返っています。受注がストーンと落ちた2008年10-12月期、2009年1-3月期に早々に、賃金カット、取引先にもコストダウンを頼み、設備投資やM&Aの先延ばし、減配など資金を社内留保する施策をとっています。早い段階で、社員と危機感を共有することで、更なる体質強化に意識の焦点をあわせていったと言います。
「危機」は、「危険」と「機会」が背中合わせの状態を言います。一般に、「危機」のプロセスには2段階あり、第1段階では、ショックと過度の緊張感の下、「いつもの」問題解決行動で対応しますが、それで解決しないと、第2段階では、激しい動揺と不安の中で新しい方法の模索を始めることになります。ここで「新しい方法」を見つけられるかどうか、が「機会」を手にできるかどうかの分かれ目になります。
人はストレスを感じると、最初のショックを過ぎれば、抵抗力が上がり、しばらくは高い緊張感の中でもストレスに適応した安定した状態が続きます(抵抗期)。しかし、これが長引くと、適応力は徐々に低下し、獲得された抵抗力も失われます(疲はい期)。
そのため、危機介入は、それが個人であれ大きな集団であれ、「即」やること、「待たせない」ことが肝要です。どれだけ早い段階で、まずは「元の」状態を取り戻すか、被害の拡大を予防できるかが、重要なポイントと言えます。抵抗力がある間に、ストレスレベルをコントロールして、「新しいやり方」や「個人的人格成長」をめざす、組織ならば「体質改善」をなしとげたい、のです。
日頃から、「すぐやる」こと、今日できることは今日やる、ということをモットーに掲げる強みが、日本電産の例では、「危機」のときにはっきりと数字に表れたと言えそうです。
何をやったかということ以上に、スピードをもって対処したことが、体力の消耗を防ぎ、その後、毎日少しでもコストを下げられないか、小さな改善を繰り返す、という当たり前の努力の積み重ねを可能にした、と言えます。
「(円高とか)まぁ、いろいろとあります。人も裏切る。でも、努力だけは裏切らない」
そうだよなぁ。う~ん、でも、そうだろうか。
社長のこの言葉を聞きながら、私は考え込みます。
私は、心理カウンセラーなので、お客様は「ピンチ」にいる人が多いのです。これまでの経験から、結果的に、「ピンチ」は「チャンス」で、日本電産がリーマンショック後の大ピンチを乗り切る努力をした結果、最高益を出したように、大ピンチにいる人が問題を乗り越えたときには、生まれ変わったように人生を変革されることを知っています。
でも、努力をしても、頑張っても報われない、そんな悲しみや苦しみを聞いていると、「ムダな努力は何ひとつないと思いますよ」とクライエントさんを励ましながらも、「頼むから、何とかしてよ」と神様に悪態をつきたくなることもあります。
エジソンではありませんが、夥しい失敗の山を、「『これは違う』ということがわかった」という知見として糧にして電球の発明にこぎつけられるほど、失敗しても失敗しても、めげずに努力を続けられる人はそうそういません。
「努力は裏切らない」ことを証明できるほど努力を続けられること自体が非凡なのかもしれません。
円高で売上が目減りしたところで、為替ヘッジで多少のリスクはカバーしたとしても、基本的に円高になる要因そのものを変えられるわけではありません。同様に、景気の浮沈も、天候も、外部環境はコントロールしたくてもできません。さらに言えば、人心だっていつ離れるかわからない。人を信じたくとも、人にはそれぞれ事情があれば、できることにも限りがあります。つまるところ、できることは、自分が今日できることをきちんとやる、というただそれだけだったりするのです。
それでも、気がつけば、外部環境が悪化したことを嘆き、思い通りに動いてくれない人を恨み、「今、ここ」でやらなければならないことに集中できずにいることが多いのではないでしょうか。
コントロールできないことに時間と労力を使い、自分にコントロールできる足元の仕事をおろそかにしてはいないだろうか。汗をかくべきところを間違えてはいないだろうか。
どんな幸運を受け取ったとしても、それが自信につながることはまずありません。自分にできる、当たり前のことをどれだけ積み重ねることができるか、その道のりにどれだけ「面白さ」を見出すことができるか、を大切にしていきたいと思うのです。
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