そんな時、あなたは上司としてどんな気持ちになりますか?
「この忙しい時に迷惑だな。チームの足を引っ張って」と腹立たしく感じたり、
「仕事の任せ方に問題があったのだろうか」と不安になるばかりでなく、
「大丈夫だろうか。とにかく、自殺だけはしないでほしい」と心配になったり、
「どうやって乗り切ろうか」という怖れや悔しさを感じることだってあるでしょう。
組織の中で、誰かが「ウツ」で戦線をはずれる、ということは、その組織にとってひとつの「危機」です。
危機介入の基本は、まず、危機が起こる前の現状復帰をめざすことで、ビジネスの現場ならば、仕事が滞らない状態を確保する、ということになります。
具体的な対処の仕方は、個別の組織の事情もあるのでケース・バイ・ケースの対応になりますが、仕事の流れを確保する見通しが立てば、病気になった部下に対しても余裕をもって治療に協力できます。病気の部下が安心して治療に専念できるようにするために組織としてどこまで協力できるか、という方向で考えられるといいですね。
一般的にメンタルヘルスの取り組みは、この現状復帰(もしくは維持)をめざすための予防的措置(早期発見・早期治療)や病気で休職した人のための復帰支援までを想定しますが、私は、こうした「危機」を変化・成長の「機会」として捉える、というもう少し積極的な問題へのアプローチが考えられてもいいと思っています。
人は、さまざまな要因で「ウツ」状態になります。本人の資質に関わることもあれば、環境要因が大きく作用することもあります。環境要因にしても、職場環境のみに問題があるわけではないでしょう。しかし、「ウツで出社できなくなった」という場合、病気を引き起こすトリガー(引きがねの要素)が多かれ少なかれ組織にあったと考えられます。
実際、同じ組織から「ウツ」病を訴える人が続けて出たり、病気に限らず問題が頻発することがあり、「ウツ」の発症は、突発的なものではなく、むしろ、組織に内在する問題があぶり出された結果と考える方が自然だと思われる場合があるのです。
心理学には、IP(Identified Patient)という言葉があります。「患者として認識された人」という意味ですが、それは、心の病気という問題を抱えている人が、その人の所属するコミュニティの問題を代弁していると考えられるケースが多いからです。「真」の問題は、その人の所属するコミュニティ内の隠された葛藤だったり、風通しの悪さだったりするのですが、そのストレスを一番受けやすい人が「病気」として表現するので、「(本当の問題はともかくとして)とりあえずあなたが患者ね」という言い方をするのです。
よくあるケースでは、子供が登校拒否を起こしたためにセラピストが関わったけれど、子供が元気になり学校に行けるようになると、親夫婦の関係が悪化して離婚という形で家族が壊れてしまう、ということがあります。この場合、「見える」問題を抱えているのは子供(IP)だけれど、「真」の問題は親夫婦の不仲で、子供は、親の葛藤を登校拒否という形で表現していたと見ることができます。こういうとき、子供だけを支えるのではなく、家族みんなの話を聞いてみることが、問題の根本的な解決に役立つという考え方があります。
会社のような組織についても同じ見方ができます。
組織の中で、まじめで、責任感が強く、物事に対する感応度の高い人が早い段階でストレスにダウンしてしまいますが、そのストレスを作り出している「組織の問題」、例えば組織内の暗黙の葛藤や風通しの悪さなど、を見逃したまま人材の入れ替えを行っても、問題は形を変えて頻発し、最悪の場合、業績悪化や事故、不祥事などの不幸な事態にまで問題を大きくしてしまうことになりかねません。
そう見ると、「ウツ」になる人は、組織にとっての危険を知らせる警告装置のような役割を果たしている、とも言えます。
部下が「ウツ」で出社できなくなったとき、本人の「弱さ」と切り捨てるのではなく、また、上司である自分の力不足と自分を責めるのでもなく、たまたまその部下が、組織の抱える問題の芽をあぶり出してくれたのだ、と考えることができたなら、組織の「危機」を変化や成長へのチャレンジに変えていくことも可能でしょう。いたずらに「ウツ」の犯人探しをするのではなく、組織全体を「患者」と見なして、これまでの組織のあり方、仕事の流れや仕方を見直すきっかけにしたいものです。
「危機」は、「危ない」けれど「機会」(チャンス)でもあります。
部下の「苦しい」サインは、組織がひとつの節目に来ていることを知らせてくれているかもしれません。どこが「危ない」のか、じっくりと見極めて、新たな成長の「機会」にしてください。
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