●ネコ

ゴールデンウィーク、いかがお過ごしですか?みなさん。
前回のコラムを読んで頂いた方はご存知かもしれませんが、
お引越しも無事終り、新居でこのコラムを書いています。
「虫」が気になっていた私ですが、我が家に侵入しようとするのは、他にもいることを最近知りました。
「ネコ」です。
なんとも古いお家なので、ネコにとっては居心地がいいのか、お昼には屋根の上でお昼寝・・・
縁側から屋根を見上げると、足がダラ〜ンとたれていたりもします。
そして、隙を見ては家の中に入ってこようとするんですね。
引越しの最中なんかは、「こいつら、何者?」といわんばかりに車の中に入って荷物を嗅ぎまわっていました。
若い頃、ずっとネコを飼っていたこともあって大好きなんですが、
入居前に、「野良猫にエサをあげないで下さいね。」と大家さんにクギをさされていたので、
ここはうまく付き合っていく、共存していく方法を見出そうと思っています。
だって、彼らの方が”先住者”だからです。
(家の中にいるわけではありませんけど・・・)
ネコを飼えない賃貸暮らしでも隠れて(?)、捨て猫を見つけたり、「貰ってくれ」とつれて来られる子猫と一緒に暮らしてきた経験のある私は、「メシくれ〜」と人間に対して鳴いているのか、ネコ同士の会話として鳴いているのかが、わかります。
飼っていたネコが、必ずと言っていいほど、野良猫と仲良くなって家に連れてきていたのと、
最後に飼ったネコには、まるで犬のように「散歩に行こう!」と呼ばれるままに外に誘い出されて、夜道をどんな風に徘徊するのかを知っていたので、主人に”ネコ博士”と呼ばれて、うまく付き合っていけるだろうと自負していたりもするんですが・・・
和歌山の穏やかな環境から一変して、父の仕事の都合で大阪に、それからは転がるようにして家族が壊れていった頃、私にとって猫たちは、思い返しても涙が出るほど、心の拠りどころになっていました。
あの目を見つめるだけで、なぜか自分の気持ちをわかってくれているような、そしてそれでも一緒にいてくれるような、
そんな存在でした。
だから、野良猫を家の中に連れ込んでも、子供を産んでも、ただただ世話をしていたんですね。
でも、それは動物を飼っていれば必ず訪れる「死」とも隣り合わせでした。
それが病気や事故でも悲しいのに、自分の手で殺してしまったこともあります。
目の見えない赤ちゃんネコを必死で世話してたときには、こたつぶとんに隠れていたところを踏んづけてしまって・・・
それから連れてこられた子猫は、「私が世話するよりは・・・」と思い、連れて行った野良猫の溜まり場になっていた空き地で、突如現れた放し飼いにされた2匹の犬に襲われて死んでしまいました。
なぜ、こんな暗いお話をするのかというと、今のお家の”先住者”たちを見て、
気付いたことがあったからなんです。
先ほどの”最後”の愛ネコが死んだ時、当時唯一運転免許を持っていた弟と、それと妹と三人で深夜もやっているという動物病院に向かったことがありました。
車の中で息を引き取ったんですが、呼びかけると最後に一声「にゃ〜ん」と答えてくれたんですね。
そして、悲しみに暮れながらも、明け方、兄弟でお墓をつくったことを今でも鮮明に覚えています。
その時に見た朝日が、とっても眩しかった。
それに、先に両親が家を出て行っていたこともあって、ひときわ私たち兄弟の気持ちがひとつに感じた時でもあったんです。
それから年月はずいぶんと経っていますが、今では家族も兄弟も集うことは滅多にありません。
でも、それぞれがみな自立し、それぞれの家族やパートナーがいて、たくましく生きています。
そして、経験してきた苦しみや、わだかまりが、今では家族を思う気持ちを邪魔することはありません。
ただただ、お互いを愛しているとしか感じられないんですね。
胸をしめつけるような悲しみで一杯だった頃、そしてそれを乗り越えることができたこと、
その経験のすべてが、今の私を支えてくれていることに、
”ネコにご飯あげなきゃ”とは思わない自分自身に気付いて、あらためて感謝したくなったんです。
心の拠りどころが今の私には、有り余るほど与えられています。
家の裏にある、広場のようになっている場所に、やさしい中学生がやってきては野良猫にご飯をあげてくれています。
そんな光景を見守りながらも、ネコさえも心に寄り添ってくれないと感じている方たちと、これからもたくさん出会えることを願う今日この頃なのでした。
源河 はるみ

この記事を書いたカウンセラー

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