友人が先日ある講演会に参加してきました。
講師は泌尿器科のドクター、内容は「子供のおねしょについて」だったそうです。
彼女は子供さんのおねしょを随分気にしていました。
4歳の息子さんもそんなお母さんの気持ちを汲むかのように毎朝おねしょ用の紙パンツの状態を気にしているのだそうです。
私には二人の息子がいて、もうおねしょとは縁遠く、そういった悩みは遠いはるかな昔(笑)のように今でこそ感じていますが、おねしょに限らず、文字の読み書き、計算、時計の読み方、お箸やお茶碗の持ち方…と様々なことに心を砕いていたことがあるなあと、彼女の不安な思いを聞きながら思っていたのでした。
経験上、彼女の息子さんのおねしょはこれから軽快していく事が私にはわかるのですが、彼女にしてみれば初めての子供ですから不安でたまらないのです。
そんな事情で、彼女は講演会に参加することにしたのですが…。
講演会が始まると、彼女は自分が受講者の中で異端のように感じ出しました。
なぜかと言うと、年齢も若く子供の年齢も低く…なんだか自分がここにいてはいけないように思ってしまったようです。
ともあれ、講演会は進んでいきました。
講師をされていたドクターは泌尿器科の専門医。機能や疾病に関わること、薬の副作用で起こるおねしょを念頭に資料を用意されていたらしいのですが、いざ始まってみると…。
出される質問の内容が、アトピーや喘息とのかかわり、それらのために服用している薬のいわゆる副作用でありうるかとか、身体的な内容はほとんどなく、精神的な不安の話、それも子供でなく母親の精神的な不安についてが一番多かったのだそうです。
小学校の高学年になると、キャンプや修学旅行などの宿泊行事が始まります。
そのときまでに何とか治してやりたい、とか、姑からトイレットトレーニングのしつけが自分の時代とは違って生ぬるいと責められてノイローゼのようになってしまっている方とか、育て方が間違ったのか、生むんじゃなかった…と号泣する方までおられ、彼女はとってもびっくりしてしまったのだそうです。
この話、本当は誰にしたいんだろうって。
この話を聞いていていくつか思うこと、思い当たることがありました。
カウンセリングをする中で時折聞くのですが、「あんたなんか生むんじゃなかった!!」と母親に言われたことが深いトラウマになっていることがあるんですね。母親がこういったことを口にするときに、一体どんな思いを抱いているのでしょうか。
生まなければよかった…その裏には、自信のない母親が見え隠れします。
うまく育てられないでごめんね。よその子だったらあなたももっと勉強ができただろうに。そんな思いを感じてしまいます。
私は、とても能天気な母親なので、結構色んな出来事があってもこの子達といられてよかった、と思えるし、思春期を迎えた息子たちにもそういったことを言います。
例えば、長男はSFD(Small For Dated Baby)といって臨月までお腹にいたのに小さかったのです。
当時仕事と家庭との間で相当なストレスを抱えていたので胎盤からの栄養が不十分だったらしいんです。
そういったこともあり体は小さいし、体力はないし、毎週病院にお世話になったものです。
また、次男のほうは肺炎に罹り入院したことがあります。
こういった話もしながら、君らがいることでお母さんは楽しく暮らせているよ、と言う話もします。
実際、手がかかることも少なくないし、それはミドルティーンの今もなんですが、言動の面白さ、発想のとっぴさ、そして気づくと色んなことができているようになっていたり(勉強は…おいときましょう。本人も気にはしているようですが)、私はそっちに気を取られてしまうんですね。すると、確かに苦手なことやよその子供さんに比べて見劣りすることがないではないのですが、ま、別にいいかって思えるんです。
おねしょや食事のしつけ、挨拶と言ったこともそうなんですが、のんきに放っている間にできるようになっていたな、と言うのが感想です。
運動をはじめ、私にはできないことが彼らにはできることがあるので、本当に感心します。
彼らは彼らで、何で私が難しげな本を読めるのか、感心しているんですね。そのうち読めるよ、と思っているんですが。
子供には発達段階があります。
概ねの目安と言うのがあり、生後3ヶ月、半年…と検診を受け、発達をみます。
お隣の〇〇ちゃんは何ヶ月でおすわりが、ハイハイが、うちの子はまだ全然…といって比較しがちになりますが顔が違うように発育の仕方や順番も微妙に違います。
ハイハイよりたっちが早い子供さんは今や少なくはありません。うちの長男は、ハイハイがとても遅くて、腹ばいのままジィっとしている子でしたが、ある日突然高這い(ひざを突いたお馬さん状態のハイハイ)で部屋の隅から隅まで異動し、びっくりさせられました。
そして気づくと字が読めるようになっていて…アンパンマンカルタのおかげなんですが…2歳で平仮名が読めていました。
ところが数にはまったく弱いんですね。迷路のような遊びもだめ。一方次男の方は、就学前ぎりぎりまで平仮名の読み書きができませんでした。
親の方はそれこそ入学前検診に自分の名前を書けるように…と必死なんですが本人が一向にその気になりませんからしょうがありません。あきらめていたら、帳尻を合わすかのように、書けるようになっていました。
でも、アバウトな母親がデジタル時計が7分進んでいるのを直していなかったおかげで、早くから引き算ができるようになっていました。
時計から7を引いて、今何時何分!と言うのです。
例えば時計が3時45分だと今は本当は3時38分、と言う風に。何が幸いするか、わかりません。まあ、二人の能力が生かされているとはまだ実感できないんですけれどね。
私たちは大切な人に対して、「信頼」をあげずに「心配」ばかりしてしまいます。
しつけもまたそうですね、いつかできるようになるということが信頼できないのであせってしまうんです。
時には機能的・体質的・遺伝的な問題などもあり、他の子供さんの発達過程とは異なる場合もありますが、その子自身の個性であるとか、成長過程を温かく見守れたらいいですね。
中村ともみ