●感情と記憶

 久しぶりにゆっくりした日の夕方、自宅のバルコニーから町を眺めていました。
私の住む町は山も海も身近に感じられるところで、遠くに見える海が少しずつ茜色に染まりながら揺れていました。
手前の方に視線を落とすと、見慣れた街が少しずつ色を変えていきます。
空を見上げると、西側の山の縁から赤く染まりだし、雲の隙間からすばらしく青い空が顔を出していました。
何だかとても懐かしく、しばし安心感に浸っていました。
いつまでも立っていたい思いでしたが、現実に変える時間(夕食の準備!)が来たので名残を惜しみながら台所に入りました。
 食事の準備をしながら、昔は夕焼けの頃になると名残惜しい思いで友達と別れて帰宅をしていたことを思い出していました。
すると、小学校の低学年時代にお隣の一つ年上のお友達と随分遠くまで出かけてしまい(…と言っても子供だから大したことはないんですけどね)ちょうど今の季節だったので「釣瓶落とし」とたとえられるくらいの速さで、そう、あたかも舞台の暗転のように日が暮れ半泣きになって走りながら帰ってきて、家の明かりが見えてほっとしたことを思い出していました。
そのときの母の、安心したような、でもとっても普通に「お帰り」と言ってくれたことも浮かんできました。
叱られる、と思っていたのに叱られなくって拍子抜けしたと同時に、今思うと、安心する場所が有ったんやな、ということを一緒に感じていました。
 私たちの心の仕組みは複雑ですが、とっても単純なこともあります。
こんな風に、心で感じたこと(感情)が忘れていた出来事を、それもしばしばとっても具体的なことを思い出させてくれます。
その思い出が、心を癒す手助けになることが、とっても多いんです。
たいてい、子供の頃の出来事は「忘却の彼方」か、ひどく傷ついたか、とっても嬉しかった思い出か…のような極端な形になっていると思うんです。
その極端な思い出の前後に大事なことが隠れていることがあります。
たとえば、お母さんに手を叩かれた記憶があったとしましょうね。
その時の痛みとかお母さんの形相、自分の泣き声…なんかは覚えているんです。
でも、なぜお母さんが自分を叩いたか、というシチュエーションは覚えていないことの方が多いんです。
例えば、ストーブに触ろうとしていた、とかいった具体的な原因についてとか、叩かれた後で「危ないでしょっ」と抱きしめられたこととかは、忘れてしまっているわけです。
 カウンセリングをしているとき、わけのわからない感情にぶつかるときがあります。
すごく悲しくて見捨てられた感じ、とか、お母さんがとっても怖かった、とか。
それが原因になって人間関係に影響があることが少なくありません。
そうした積み重ねが例えば親子関係のゆがみになっていたり、成長した後の人間関係に影を落とすことになっていることがよくあります。
でも、それは一番衝撃的なシーンだけを覚えていたためであることも少なくありません。
自分がストーブに触ろうとしたため、とか、その後お母さんが抱きしめてくれたことなどは、覚えていないことの方がきっと多いでしょうね。
そして、かくして「お母さんに叩かれた悲しい思い出」が出来上がってしまいます。
 映画やドラマを観たり、本を読んだり、音楽を聴いたり絵を見たり、あるいはもっと日常的なことの中でも、感情が動くことがあります。
でもあまりにも日常的なので、見過ごしてしまっていることが多いのではないでしょうか。
何かのときに懐かしい感情に触れることがありません。
それは、ちょっとしたチャンスです。
でも一人ではなかなかうまくいかないことの方が多いんです。
誰かに話してみるとか、書いてみるというのは、とても有効な手段です。
でも、時には自分の都合の良いようにお話を持っていってしまうことも無きにしも非ず、です。
カウンセリングはこういったときにとても役立ちます。
自分でも思いもかけないことで引っかかっていたり、いつも誰かに見守られていることに「気づいてしまった」り、とね。
 心の探検、もう試されましたか?私たちをガイドに、探検に出かけてみてはいかがでしょうか。
中村ともみ

この記事を書いたカウンセラー

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