●気を抜く

「気を抜いていたら××になってしまった」なんてよく言いますよね。××にちょっと思い当たる言葉を入れてみてください。
 「太ってしまった」「ん十歳になってしまった」…なんていう用途はよくありますね。私の友人で変わった用途を開発?した人がいます。
 
 彼女と知り合ったのは心理学のワークショップを通してなのですが、話してみるととても近所に住んでいることがわかりました。
そう言ったこともあり話す機会も多く、趣味や仕事の話もよくしていました。
個性も感性も豊かな方で、心の内面について接することも少なくなかったのですが、彼女は一見するよりとてもセンシティブでナーバスな女性です。
(こんな風にバラすと叱られるかしら。笑。)お仕事もそう言った彼女の特性を活かした職業を選びました。
さらに彼女は今、素敵なご主人と二人の生活をスタートして間がないのですが、お仕事もプライベートも、実は「気を抜いて」しまったことで人生が変わったのじゃないかな?と密かに思っています。
 
 振り返ってみるとと、知り合ったころの私たちはガチガチに肩を張ったような状態だったな、と思います。
彼女は体調も思わしくなくてかなりセンシティブでした。
意見や感性の行き違いも実際にあったし、まさに山あり谷ありのおつきあいでした。
続かないんじゃないかと悩んだこともあるんです。
私は、どうも事を荒立てるのが好きじゃないらしく、何かにつけ丸く治めようとする癖があるようだ、と気づいたのは彼女のおかげかもしれません。他人事のように書いていると思われるかもしれないですが、本当にそう思っています。
コミュニケーションっていろんな形があるんだな、とも思いました。
 
 で、その彼女が「気を抜いたこと」と言うのは・・・。いつものワークショップの参加中、あるセッションが終わりました。
休憩時間になったとき彼女が漏らした一言と言ったら「うっかり気を抜いたら癒されてしもたわ!!」なんだそうです。
残念ながらその時には私は現場に居合わせなかったのですが、彼女からそんなことを言ってしまったというメールをもらい、笑ってしまったんですが、正直な話「ホンマかいな」とも思っていたんですね。このエピソードは知る人は知る結構有名な話です(私が参加するワークショップでは)。
 でも確かに彼女はその後めまぐるしく変化を遂げました。
それまでの人生をまるで清算するかのように思える動きをし、数ヶ月姿をくらまし(あー、またこんな書き方を・・・ごめんっ)戻ってきたときには今の仕事を手にしていました。
さらに、今のご主人とドラマティックな出逢いをして遠距離恋愛を実らせました。
私はと言うと、彼女の変わりっぷりに唖然としながらも幸せのお裾分けをしてもらったな、という気分ですね。
 
 さて、日ごろ「気を抜く」ということはどんな場面でしていることが多いかな、と考えたとき、すぐに思いつくのは仕事を終えて自室に戻ったとき、とか、お風呂に入り手足を伸ばしたときとか、お布団に入ってほっとした瞬間とか。そんな感じが多いかなって思います。
こんな時間がもしなかったとしたら、心も体も張り詰めた弦のように緊張のしっぱなしですね。
 
また、人と出逢うこと、話すことが多くなると気をつけていても誰かの気に障ることはおそらく皆無ではありません。そういった時に彼女とのことや「気を抜く」ことなんかを思ってみることがあります。
そうすると何だか気が楽になることがあるんですね。こんなことも私にとっては「気を抜く」ことかもしれません。それとこれは私自身の課題なんですが、「上手に休むこと」。緩急をつける、ということがもっと上手にできたらいいな、と思っています。
そんなつもりはなくても張り詰めっぱなしになっていると余裕を持った見方ができなくなるなあ、と痛感中です。
 
休むことと、パワーをチャージすること。似てて違うかもしれないけど、自分を大切にすることから周りに与えることが本当に始まるのかもしれません。うっかり気を抜いて楽になるのもまた、いいよねぇ。  
中村ともみ

この記事を書いたカウンセラー

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