先日、妻のおばあさんが亡くなられました。
お父さんのいなかった妻にとって、おばあさんは育ててくれた父親代わりといえる
存在でした。
おばあさん自身、厳しく、またそれ以上の包容力のある、男勝りな方でした。
そんな方でしたから、妻との婚約当初、結婚に反対されていたおばあさんには、
僕自身もずいぶん厳しいことを言われ、肝を冷やしたのを覚えています(最後には、
とても快く結婚を許して下さり、祝福して下さいました)。
そういう意味では、僕にとっても、「お義父さん」とよべる人であったのかもしれ
ません。
この数年、入退院を繰り返され、僕も妻も何度も心配したり、胸を撫で下ろしてほっと
したりの繰り返しだったのですが、6月にとうとうガンで倒れられ、帰らぬひととなって
しまいました。
「もう危ない」と妻の実家のお義母さんから電話をもらったとき、僕も妻もどうしたら
いいか、おろおろしてしまいました。
なんと言っても、妻の実家は僕たちの住まいである大阪は某区からはるかかなた、九州
は宮崎県延岡市。
飛行機を使っても、すべてのアクセスを考えると5時間はかかる距離にあります。
旅費だって馬鹿にならないため、そう何度も往復することはできませんから、もし妻
が看病に旅立てば、当分は帰ってくることはできません。
「娘たちの学校は!?
幼稚園は!?
飛行機の予約!
厚志の仕事の都合はどうなる!?」
そんな僕たちの日常の歯車を止めたり変えたりする作業を、パニックになって繰り返し、
ばたばたと準備をし、仕事でどうしても動けなかった僕はあとから追いかけることにし、
妻は故郷へと旅立ちました。
おばあさんがとてもかわいがってくれた、娘たちを連れて。
妻も僕も、学校や幼稚園を休ませてでも、娘たちを妻と一緒に田舎へ旅立たせることに
したのです。
めったに合うことが出来なかった娘たちが、最後にそばにいられるように。
お年寄りのため、ガンを摘出する手術も出来ず、黄疸もすすみ、お医者さんも
「もう手の施しようなし」
といわれたため、妻がうちに帰るときは、そして僕が妻の実家を次に訪ねるときは、
「おばあさんが亡くなったとき」
という約束事が、そのあわただしい準備の中ですでに出来上がっていました。
僕にとっては、身近な人の死を体験するのは、これで4度目です。
でも、はじめの3度はどれも突発的で、寝耳に水、という体験ばかりだったので、
親しい人の死をただ黙って見守ることしかできない、という、もうどうすることもできない
状況に身をおいたのは初めてでした。
そんな中で僕と妻の間の約束事が、ひとつありました。
「もうすぐ天国へ行くばあちゃんに、あとで『ああしてあげればよかった』と悔やむことだけは
しないでおこう」
ということでした。
でも、僕は最初から、その約束を破っていたのかもしれません。
僕がおばあさんの訃報を聞いたのは、妻に「病院の先生が、今日か明日といった」と電話を
もらって、慌てて飛び乗った船の中でした。
旅費が足りず、飛行機よりもずっと安い、けれどとっても時間がかかるフェリーの上で、
メールをもらったのでした。
そのとき、僕は、なぜか悲しみを感じることはなく、ただ、
「ばあちゃんは苦しまずに逝けただろうか?」
「善子(妻)は悲しんでるだろうか?」
「近頃ばたばたしたけれど、これで一区切りか。。。」
と、冷静に頭を動かしていました。
しかし、時間がたつにつれ、妻の実家にたどり着き、お通夜を経て、お葬式がおわっていく次第に、
僕の中には、
「おばあさんとはもっともっと仲良くなれたはずだ」
という後悔の気持ちがたくさんあふれ、
「残念だ」
とため息ばかりが出てしまいました。
胸の中には、悲しみともいえない、また、罪悪感ともいえないような、なんともいいがたいものばかりが
渦巻いていました。
そんな気持ちを感じながら、僕は自分の環境を同時に振り返りました。
「もし、今、僕の身の回りのだれかがいなくなったとき、同じ後悔をしないだろうか?」
と。
可能性は大いにあると思うのでした。
でも、それだけは勘弁、と思います。
どんな場合でも、後悔というのは多かれ少なかれあるかもしれません。
家族、親兄弟。
そしてこのカウンセリングサービスの仲間、
健一さん、志保ちゃん、ねむねむ、りかちゃん、はらっち、まっこ母さん、えりちゃん、みどりねえさん、
順ちゃん、げんちゃん、ともち、ぺこちゃん、田内兄さん、陽子ちゃん、美紀ちゃん、なおみねえさん、
昌代ちゃん、向井さん、安見さん。
僕にカウンセリングを教えてくれた師匠、そして事務所のみんな。
みんなみんな、僕にとって、お世話になったり、ぶつかったり励ましあったりできる、かけがえのない
大切な友人であり、仲間たちです。
そんな、僕にとって大切である人たちに対し、
「もっと仲良くなれるはずだった」
という後悔、それだけはするまいと思うのです。
おばあさんの遺影に、僕は、それを約束しました。
妻は、最後に、おばあさんに、
「かわいがってくれてありがとう」
と別れの言葉をかけました。
帰りの船の中でも、
「出来ることは全部やった。ばあちゃんも喜んでくれてるとおもう」
と言っていました。
わが妻ながら、僕はただただ、彼女に感服するのみです。
悲しんでいないわけではなく、それでいて、浸っているわけでもなく、一言、
「やることはやった」
と自負する、僕にとって最高の妻に出会わせてくれたおばあさんに感謝しつつ、僕は
おばあさんに約束したことを胸に刻み込みつつ、生きていこうと思うのでした。
田村 厚志