●34歳 独身、結婚について考える。

こんにちは、うえにしなおみです。
すっかり秋の気配ですね。気温もぐっと下がってきたみたい。
今、私が住んでいるのは神戸市内、とある高校のグラウンドの真隣になります。
朝は野球部の朝練でしょうか、「キーン」という澄んだ音が近所に響き渡ります。
先日は体育大会だったようで、応援歌やマスゲームの音楽、学生さんの初々しい場内アナウンスで私も自分の高校時代を思い出し、離れて10年以上経つ地元へ思いを馳せていました。
想像力貧困な高校生の私、本気でノストラダムスの大予言を信じていましたし(1999年は私が29歳、30歳を迎えられないんじゃない?という荒っぽさで将来を考えることを放棄してみたり…)、小学生の頃友達としたこっくりさんの「26歳で結婚するでしょう」を信じてみたり、、、。(当時は本気で20代で結婚してると思い込んでいました)
「34歳の私」は到底、想像することは出来ませんでした。
さてさて、
今回のお題は「結婚について考える。」ここ数ヶ月でしょうか、知人友人たちから「結婚」という言葉がいやに飛び交っていて私自身考える機会が多かったんですね。
34歳、非常に微妙なお年頃、カウンセラーといえども人間ですし女ですから焦りもするしコワくもあります。
今、学生の頃親しかった友人たちを見渡してみると多くがこどもを出産し、家庭生活を営んでいらっしゃいます。
私は進路を決定する時に、いつもといっていいほど友人のアドバイスをきかないようで、職業を決めるときにも企業への就職には友人の多くは反対をしています。
理由は‘厳しすぎる’‘男の職場’‘婚期逃す’…などさまざまですが多くは女性として好ましくないというニュアンスが多かったように感じます。
「結婚はしたい〜」と口では言いながら、当時の世間的に見れば結婚するという方向性ではなかったようですし、私自身の気は弱いわりに負けず嫌いでしつこくて不器用な性格を知っていたから彼女たちのほうが、数年後の私を容易に想像できたのかもしれませんが・・・。
仕事を始めてからは「男性に負けたくない」「男性と同じに扱われないと申し訳ない」「女性だからを理由に使わない」そんな想いと葛藤の中にずっと居たように思います。
「負けたくない」と感じていること自体が、自分自身の「女性」を意識していて男性優位を常にどこかで信じていたことを今になると分かります。
私にとって「女性」はよわいもの・無力なもの・迷惑なものと感じていたようです。
女性性の痛みをしっかり感じさせてくれた、男性陣のお言葉ベスト3。
「いいよね、結婚したらやめれるし。」
「やっぱり得だよね〜、女性は。」
「結婚相手探しに来てるんでしょ?」
今なら風潮としても「ハラスメントですよ!」と言い切れるこの言葉ですが、20代の頃はこの言葉との戦いでした。
で、意地になって仕事を続けるに、今に至る。
30超えると、自分自身の中での何か吹っ切れた感もあったのでしょう、仕事で出会う方たちも「女性である」事をよきにつけ悪しきにつけ言われることは減りましたが。
ただ、油断していると自分に「女性」としての意識そのものが低くなった分、危険も増えたりしてやっぱりちょっぴり生き辛い。
子供を育てながら仕事をするには物理的に不向きな仕事ではありましたが、後輩たちの中には出産して仕事に復帰する子達も増えては来たようです。
色々な考え方があるかとは思いますが、性別はともかく才能が社会で生かされるのは何より。環境が整わないと難しいとは思いますが、そういう子達の存在が制度や周囲の見る目を変えていくのでしょうか。
もちろん、早くに結婚して家庭に入った友人たちが羨ましくないわけではありません。
会社勤めをしていた時に一番羨ましかったのは‘奥さん’という言葉。今思うのは決して奥さんという言葉や立場が羨ましかったわけでなくて「幸せそうな感じ」や「守られている感じ」を羨ましいと感じていたようです。
子どもさんを育てていらっしゃる苦労話すら、羨ましいと感じることもしばしばですしね。
でもこういう友人とお話しすると「自由でいいね」と言われる事も。
色んな‘結婚’があるんだけど、私って本当は一体何が欲しいのかしら?と本気で考えたのは実は最近です。
幸せになりたいってぼんやり感じている状態は長かったですし、歳を追うごとに色んな事が楽になっています。
でも、幸せって?
お友達から届く、‘結婚しました’のお葉書やご報告。
頂くとほとんどが私自身も顔がほっこり、緩みます。
この正体やなんぞや?
‘仲がよい’って雰囲気、‘二人でスタートします’そんな新鮮さなどをかんじる事が出来るからでしょうか?
‘結婚していない’ということで親や親戚に対して申し訳ないとかんじる事もあります。
特にばあちゃん世代になると‘嫁き遅れ’とか思ってるんだろうな、なんてプレッシャーも十分感じます。
もう既に親族一同、私に対し「なおみちゃん、結婚は?」と聞くことはなくなりましたが、くやしまぎれに「結婚=幸せ」ちゃうもんっなどと「何か結婚について突っ込まれるかも!」雰囲気を感じただけでのたまいたくなったりもします。
それだけでもどこかで「結婚=幸せ」だという価値観を持っているんですけどね。^^;
20代、劣等感もあいまって情熱を傾けたのは仕事でそこから得られたのは自信だったり、生きていくうえのスキルだったり。
本当にたくさんのものを貰いました。
だけど、心では‘幸せになりたい’いつもそう感じてはいます。
昔、結婚しようと思い踏み切れなかった理由は、彼を愛し続ける自信のなさと仕事を続けることを反対されたことでした。
仕事もしたい…と伝えた時になぜか怒りを買ったことを覚えています。
相手方の背景もありましたし、背景から来る「女性は家庭を守って欲しい」という相手の価値観と折り合いをつけることが出来ませんでした。
相手の方と再会してもやり直すつもりはありませんが、今同じ状況ならどう対処できるだろうなとはよく思います。
20代のときほど、必死にがむしゃらに(体壊すほどに…)仕事に向かわなくても良くなった今。
私の人生にこどもという授かり者がきてくれるのかどうか別として、結婚できなかったらもっと寂しくなっちゃうんじゃないかな、一生幸せになれないんじゃないかな、そんな怖れにふと駆られることもあります。
本当に自分の心と向き合ったときに、私にとって幸せを感じられるのは
人であれ、ものであれ、仕事であれ、愛する対象があること。
自分が女性であることを痛みでなく喜びとして感じる事が出来ること。
自分の中の女性的な側面を‘劣等感’に閉じ込めていた時には到底考えることも出来なかったことですが、、、。
女性だからこうしてはいけない、こうすべき、ああすべきという観念からでなく柔らかさや優しさ、愛するという強さそういったことを表現出来る事なのかなと。
この歳になり好きな人に正直さを持ってハートを開くのは勇気もいるけれど、今まで情熱を傾けてきた仕事の方向性も含めて‘一緒に生きたい’と思える人を自分の力で選び、信頼すること。
歳を取るごとに、結婚後のお話もうかがう機会が多く(仕事柄もありますが^^;)耳年増になり、平坦さだけではない深さも思いますが、、、。
「結婚」に関しても常識や価値観は世代とともに移り変わり、特に西洋の文化が否応なく流入した戦後はめまぐるしく変化し続けているのを、様々な世代の方とお話させていただく中で感じます。
常に私たちの親の世代の価値観は私たちに影響し、また私たちの生き方も次の世代へ伝えていく必要のあることと、次の世代にとっては抑圧となってしまうこともあるのでしょう。
世代の狭間に生きている感もありますが、常識や価値観を超えてひとりひとりがオリジナルな幸せを少しでも感じられたらいいな、と改めて思う今日この頃です。
34歳、あと一ヶ月で35歳、独身、
決して負け惜しみではない、と思いたい「結婚について考える」でした。
(^^♪
ちょっぴり「適齢期」と言われる年代を過ぎた皆さんへの応援にもなったらいいな!と思って書いています。

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